宗教者による平和会議・人権と動物愛護

「宗教者駅伝の新設検討 来年の京都マラソン」(http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20130531000012)は密かに15年以上昔からやればいいのにと思っていました。駅伝に限らず、日本は色々な宗教者を集められるという特色がありますから、そういったイベントをちょくちょく開いていって、何か宗教の名のもとに地域紛争が起こったときなどは、そういった人達に共同で停戦勧告をさせたりすることが出来ると思います。首相の力量が必要ですが。

日本の特色を生かして、世界に貢献できる路ではないでしょうか。

4月5日の朝日新聞の中島岳志さんの記事には「インターネットでは新聞の記事や論調が「偏向している」として攻撃の対象にされやすい。それに対して新聞は弱気になっていないか心配する。」とありますが弱気になっていれば、記者クラブ制度なりクロスオーナーシップなり広告費のあり方なり旅行に行って良かったのかそれを批判しなくて良いのかといったことに対する疑問が浮かび、新にこそこそ飲み会に行くということもないでしょう。

臆病であるべき所が横柄で厚顔無恥であり、いうべき部分について極めて臆病、というのが実態だと思います。

いうならば今の新聞というのは戦争直後の状態に比すべきものであって、そこで自信を持たれてしまっては本来ならたまりません。しかし実際は振り返りもせずにやり過ごそうとしている点で、当時の新聞より劣っているとすら言えるのではないでしょうか。そしてその状況を招いているのは、真っ当な批判をしない「知識人」にも大きな責任があるのです。

同日の記事には小島慶子さんのインタヴューがあって「新聞を読むことは、世の中と向き合うことなんです」という言葉から始まる賛美調の内容ですが、あれ、小島さんってこういう人でしたっけ?ラジオも最期のほうは政治的なことはまったくやらなくなりましたし、こんなものなのでしょうかね。

横のカンニングの竹山さんの記事には、「野田政権のときに比べて、原発についての情報が少なくなっていると感じる。」とありますけど、これはその通りでしょう。そもそも極め付きの疑問符がついていましたが、今ではさらに二重の規制になっているといえましょう。

4月6日の同紙の「ヒップホップ現代論」という記事では、秀才的なくらいに詩が良く書けていて、一時期のフォークのような雰囲気もあります。

宇多丸さんバブルを振り返っての「もちろん当時の日本にもちゃんと貧困はあった。でも、それが「ないこと」にされていた。」というのは正しいでしょう。現に当時あれだけお金があったのに、福祉には国際的にもあまり使われていない部類だったといわれています。

いつの時代もバブルで盛り上がるのは一部で、特に地方では実感が無かったという声を良く聞きます。さっきも「たけしのミカタ」で「誰もが浮かれていたバブル」といっていましたけど、本当に誰もがなのでしょうか。

芸人さんでも麒麟の田村さんとか河本さんとか、本当なのか、というくらい貧乏で、そういう人は結構いたのだと思います。関西特有も部分もあるように思いますが。東北はみんな貧乏ですけど関西は偏在していますからね。

つまり結局お金があったようでなかったのがバブルであって、一言で言えば実が無かった。こういったところをしっかりみていった上で、バブルを意図的に作り上げようとしている現在の経済政策をみていかなければならないのですが、テレビなどを観ていると20年前にも学べないのかと感じさせられることが多いです。

同紙の「プロメテウスの罠」の4月は畜産など動物について追っていますが、紙面を直視するのもはばかられるほどの凄惨な状況が綴られています。

当時は人ばかりで動物に対する言及をするのも難しいような状況でしたが、それにしても、なんにも生かされずに殺されてしまった動物をたくさん出してしまったことには心が痛みます。

動物の話ではないか、と思う人もいらっしゃるかと思いますけど、人と動物はつながっているんですよね。最近徳川綱吉の再評価が話題になりましたが、これも動物愛護と人権が同一直線上にあったことが理解されたからです。最近はブータンでも同じような事をやっているみたいです。

つまり人権は法律的に人権ということになっていますが、身体的には、無辜の動物が死んで心が痛まない人は、人が死んだり苦境に陥っているのをみても心が痛まない。こういった動物に対する処遇の同一直線上に福島の人達に対する政策があり、動物に対する処遇は福島に対する処遇を暗示するものだったともいえるでしょう。

思想的にも、たとえば歴史修正主義者で慰安婦問題に対するとんでもない認識で問題になっている小林よしのりは、諫早湾干拓の時にムツゴロウに対する同情的な世論をあざ笑っていましたが、これは彼の人権に対する感覚と無関係ではありません。右傾化の中に人の痛みや気持ちを理解出来ない人達がたくさんうまれてきているという現象が内包されており、それに対して早急に対策を立てなければならない、と日本社会は火急の自覚を持って本格的に取り組まねばなりません。

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