東京国立博物館 国宝 大神社展 後期 その4

#その他芸術、アート

行って参りました。

会場の入り口から真っ白な空間が演出されていて、上からは白い紐が何本垂らされていてカーテン状になっています。

司馬遼太郎さんの「この国のかたち」などで書かれている、なんとなく清らかなのが神道、という認識を思い出させますけど、今思い出すに氏の神道観は一番重要な自然との繋がりを欠いていて、非常にバランスが悪かったと思います。
よくキリスト教化された神道、といういわれ方がありますけど、そういったものの典型的なものが氏の神道観の中に見出せるのではないでしょうか。

また原始神道と国家神道がない交ぜになっているのが氏の神道観の特徴であって、「神主の親玉」というのが氏の天皇観なのですが、江戸期以前の神社に対してもそのような関係があったとしますが、そうではなかったようです。
以前ぐぐっていると、氏の小説中の織田信長のエピソードの中に神社と天皇の繋がりを示す創作エピソードが盛り込まれているそうですが、実際はそのような関係には無かったそうです。

天皇というのは明治期に多くが作られたもので、それ以前は日本全体に対してさほど影響力をもっていなかった、というのは半ば常識化されてきていますが、司馬遼太郎さんのこのような認識はそれ以前の認識の誤りを補強させるものであって、天皇が常に宗教的な権力を保ち続けてきたと創作するものであるといえるでしょう。

https://shakaitsuugan.work/2012/04/25/52676500/

会場に戻って、日本の総人口に迫る信者数を誇る神社本庁が特別協力している展覧会で、日本中の様々な神社から宝物を集めたようなものになっています。

「半臂 黄地向鶴丸花蝶模様錦 1領 平安時代・12世紀広島・嚴島神社」は神様が着る服らしく、かなり小さいもの。
神道の神様は童子形が想定されていることが多いみたいですね。禊のようなものが体系の中心にあればそのような認識なるのは自然といえるでしょう。

穢れを祓った末の良い意味での子供のような精神性が理想といえるでしょう。

こういった考えがマッカーサーの12歳発言を国内で真実味を持って受け取ってしまう下地になったたと思いますが、一方で大人になるための体系も整備されており、実際江戸期以前の日本人は個人が確立していてしっかりしいている人が多かったと思います。

なのでこの発言は深刻に受け取る必要はなく、むしろ東洋の理想を持って、このような考えと対峙するべきであると考えます。

また、座敷童は言わずもがな、東方Projectの登場人物がみなよu童子の姿をとっているのはこういう理由があるんですね(多分)。しかも白川静さんによると、女性は昔から霊力が強いと思われていたのか、男巫より巫女さんの方が昔から多かったらしく、全員女性なのも趣m頷けます。

「重袿 白地桐竹鳳凰唐草模様固地綾 (呂号)1具室町時代・15世紀愛知・熱田神宮」は女官の着物ですが、そういうのも結構ありました。天皇の周りも昔みたいに女官さんで固めてしまえば良いと思うんですよね。そこらへんの男だと権柄できな臭くて適わないでしょう。

「山ノ神遺跡出土品 奈良県桜井市山ノ神遺跡出土 土製模造品:18個 石製模造品:14個 滑石製臼玉:3連 小型素文鏡:1面 古墳時代・5~6世紀東京国立博物館」は磐石から出土したらしく、今回も岩に対する信仰に関係する品は結構出ていました。

字統を引いてみると「巌」という字が(山上の岩というニュアンスで少し違うかもしれませんが)そのような信仰をあらわす可能性があるみたいです。

「金銅製雛機 奈良~平安時代・8~9世紀 福岡・宗像大社蔵」はミニチュアの織機で、神への捧げものとして重要な意味をもっていたのだとのこと。
ここら辺の「福岡県宗像市沖ノ島祭祀遺跡」の出土品はかなり豪華ですが、九州と韓国の途上にある島としても注目されているのだそう。

馬具なども出ていましたが、その形状は岡本太郎の「生命の樹」に似ています。やはり結構、日本の伝統的なデザインを受け継いで自分なりの革新を行っている人だなという感じがします。

「斎場御嶽出土品 銭貨:165枚 青磁:10個 勾玉:9個 厭勝銭:9枚 第二尚氏時代・17~18世紀埋納 沖縄・南城市教育委員会」はお金ですが、お金にもそのような意味があったとの事。

「春日権現験記絵巻 巻第二 絵:高階隆兼筆・詞書:鷹司基忠筆 1巻 鎌倉時代・延慶2年(1309) 宮内庁三の丸尚蔵館」はこの時代最高の絵師が書いたと解説にありますが、流石にすべての表情・所作に意味が込められているのが有機的です。

美術的には能衣装に美しいものが多く「狩衣 紺地白鷺葦模様 1領安土桃山時代・16世紀岐阜(本巣市)・春日神社」は流麗な優品。「唐人装束 白地鳳凰鴛鴦菊模様 1領安土桃山時代・16世紀 広島・嚴島神社」なども神事能で使う衣装のようですが、どうも能の衣装は神主の衣装が発達したものですかね?

この間の会場を繋ぐ所では売店をやっていて、一番プッシュされているのが「神社エール」という生姜入りのお酒。ほかにもジンジャーを神社と読ませた生姜製品が非常に充実していました。

「対置式神獣鏡 山梨県市川三郷町鳥居原(狐塚)古墳出土 1面 古墳時代・4世紀(中国製・赤烏元年〔238〕在銘) 山梨・一宮浅間神社」は呉の年号が書かれた鏡らしく、交流があったのではないかという説があるのだとの事。

最近呉と遼東から北部朝鮮を支配していた公孫氏が魏を挟み撃ちするべくよしみを通じていたというのが話題になっていますが、これに日本を加えて包囲するというのは、理屈としてありえますし、呉の海上の機動力ならやるだろうと思います。実際に日本に来ていたのではないかという記録もあるのだとの事。(中国の歴史04 三国志の世界(後漢 三国時代)金文京 (著) 154ページ)

「鉄盾 2面 古墳時代・5世紀 奈良・石上神宮 」は珍しい日本の盾ですが、この頃は結構使っていたのでしょうね。某武術雑誌の創刊号が珍しい盾を使っている武士を描いたものでしたけど、その後も、それなりに使っていた事は使っていたのでしょう。

「直刀 黒漆平文大刀 1口 平安時代・9世紀 茨城・鹿島神宮」はとても長い平安時代の直刀で、その保存状態のよさも含めて驚異の一言。良く山の天辺ですとかに刺してありそうな感じのものです。

「群鳥文兵庫鎖太刀(上杉太刀) 太刀 銘 一 1口 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館」は細身の流麗な太刀であり「大太刀 銘 奉納八幡宮御宝殿北条左京太夫平氏綱 天文七戊戌年八月二日 所願成就皆令満足 相州綱広作 桐鳳凰蒔絵太刀 1口 室町時代・天文7年(1537) 神奈川・鶴岡八幡宮」は馬上から斬りつけるのに最適な厚手の大太刀です。
どれも奉納されたもので、どれもこれも非常に保存状態が良いのが特徴。実用を離れて輝く、刀の清らかさを感じさせます。

「梅蒔絵手箱および内容品 1合 鎌倉時代・13世紀 静岡・三嶋大社」は光悦を思わせるような鶴の模様が美しい奉納品。

「神馬図絵馬 狩野元信筆 2面 室町時代・16世紀 兵庫・賀茂神社」は暴発しそうなほどの馬の勢いが素晴らしく、どうもこの絵師は剛直な気合に特徴がありますね。

「第6章 神々の姿」は神像が並んでいましたけど、仏像と比べるといまいちピンとこないというのが本当のところ。何か方向性が良く分からないんですよね。
「女神坐像」など女性の像が多いが特徴。「小丹生之明神 和加佐国比女神(女神坐像) 1躯 鎌倉時代・13世紀 福井・若狭神宮寺」は丁寧な作りです。

「高野四所明神像 1幅 室町時代・16世紀 東京国立博物館」は男神は和装で女神は唐装で描かれている所が、興味深いとの事。

長い特徴的なフロアの最初に飾られているのが「獅子・狛犬 2躯 平安時代・12世紀 滋賀・若松神社」で、筋肉の盛り上がりは金剛力士のようです。解説によると獅子と狛犬は混同されやすいが、狛犬は角が生えているのだとの事。狛犬はスフィンクスと同根であると聞きましたが、こちらはどこかで二つに分かれたということでしょうか。

「随身立像 厳成作 2躯 平安時代・応保2年(1162) 岡山・高野神社」はその後ろに控えるまさに金剛力士のような隨身。

もののけ姫のシシ神さまは印象的でしたが、そういった鹿の美術品も多数。
中でも「春日神鹿御正体 1躯 南北朝時代・14世紀 京都・細見美術館」は壮麗にして生命の塊のような瑞々しさを感じさせる像で、神道美術史上の最高傑作ではないでしょうか。細見美術館にこのような至宝があったとは!

神社とは杜そのものであって、全体としては神道と「モノ」の根本的な相性の悪さを感じさせるところも多かったですが、その後ろの古代人の祈りの根源的な姿を感じさせるのに必須なもののようにも思いました。

全国の神社から至宝が集まった、まさに東京の神在月のような展覧会でした。ありがとうございました。

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