東京国立博物館 平常展 特集陳列「猿」「日本の仮面 舞楽面と行道面」その5

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7月4日の午後6時42分のテレ朝のニュースでは、参院選は「与党が勝利してねじれを解消できるかが争点です」というアナウンス。

7月4日のテレ朝の午後6時10分ごろのニュースではエジプトの混乱を扱っていて、コメンテーターの萩谷順さんが「まず民主主義が未成熟だというのがあります」とコメント。上から目線で自分が観えていないといって良いでしょう。

「いまだ身心に法のゆきわたらぬ時には、すでに法は満てりと思う。もし法が身心に満ちた時には、どこまだ足りないように思われる。」(正法眼蔵(一)全訳注 (講談社学術文庫) 増谷 文雄 (著) 50ページ(現成公案))ということばがありますが、先人の至言であると納得できます。

7月4日のTBSの午後5時20分ごろのニュースでは参院選をやっていましたが、フリップに書かれて強調されている争点は「ねじれ」「憲法」「景気」の順。

報道の
TBSは夢のまた夢

という下の句がふっと浮かんだのですが、上の句は自由に付けていただけたら幸いです。

記者クラブ旅行電通
報道の
TBSは夢のまた夢

といったくらいが穏当ですかね。

朝日新聞の報道部の渡辺周記者の「投機に散在より心の救済を」は高野山の投機の失敗は仏教界の金銭的な堕落の氷山の一角だということを書いた記事で、いかにもひどいのですが、以前から知られていたことでもあって、スルーしようかと思ったのですが、やはり看過できません。

記事によると高野山は今回の報道に怒っているらしく、環境問題に協力している高野山の悪口をいうとは何事だ、といったようなことをいっているとのこと。事実だとしたら、宗教家として以前に、人としてまるでおかしいと思います。まず振り返るべきは自らの行いです。まず何故税制面で優遇されているかを踏まえるべきだ。

「同宗の代表にあたる松永有慶官庁は高野山内でも運転手付きの高級車センチュリーに乗る。」という文章もありましたけど、税を納めないことにかまけてこのような事をするのは末寺まで良く聞きます。

「三国みな貧にして、身をくるしくし一切を省約して慈あり道あるを、まことの行者と云ふなり。」(正法眼蔵随聞記 岩波文庫46ページ)というのが僧侶のあるべき姿であると古来よりされていますが、そういった記述を基準にして、それに背く場合は我々一般市民が僧形をしていても僧侶と認めないことが重要です。

記事の高野山のコメントには、宗教家を批判してはいけないというようなことが書いてありますけど、逆だと思います。誰も批判しないので放漫になっているのです。

勝海舟が援助を求めてきた僧侶を少し禅問答で試してみたらポカーンとされた、というようなことを言っていましたけど、仏教を本来の仏教として、高雅な精神文化にまで高めるには一般市民の目が欠かせません。

一人一人がそれなりに仏教的な素養を持って、本当にこの人達はしっかりやっているのだろうか、という眼で観て、時には試すようではないと、僧侶達のレベルもまったく上がっていかないのです。

勝海舟のように一般市民が僧侶を試すような話は江戸期までにはたくさんあります。そのような仏教界と社会のまっとうな緊張感を取り戻すことこそが、必要です。

安藤さん騒動は報道が過熱していますけど、結局は本人が語らないからだともいえます。

しかしこれだけ社会の注目を集められる行動もないでしょう。含みを持たせたコメント共に、オリンピック前に注目を集めて、モチベーションに換えるつもりなのかな、という気がしてきました(^_^;)

7月5日のテレ朝午後5時7分頃のアナウンスでは、争点が見えにくいと言われている今回の選挙ですが、と読み上げられましたが、争点隠しであって、原発を筆頭に争点が無いはずがありません。あれほどの惨禍があったのにすべて忘れてしまったのでしょうか。

同時刻日テレは南海トラフ地震の特集をしていましたが、原発には触れず。一番大事な事を抜かせて報道で何を伝えようというのでしょうか。

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