太田記念美術館 楊洲周延「東錦昼夜競」-歴史・伝説・妖怪譚」その3

#その他芸術、アート

録画して放置していたNHK杯の行方VS先崎戦を鑑賞。ボンバイエ!ボンバイエ!

しかし、解説が羽生さんでずっこけ。忙しいでしょうになんでまた。

羽生さんは解説している姿をみると、本当にひょっこりひょうたん島の博士に似ていると思います。羽生さんが生まれる前のキャラクターであるというのがにわかに信じがたいほどです。

駒を動かす手つきとかも、改めてみると独特で、すっすっと手が出てくるというか、一時期後手番で二手目6二銀をやっていましたけど、そういうイメージ。

対局内容は先崎八段の意欲的な指し回しで始まりましたが、6五歩はともかくとして、3五歩~3三桂は指し過ぎでしょう。早指しだから紛れましたけど、行方八段クラスにはなかなかこういう指し方は通用しないはず。

先崎八段は自分のことを将棋に明るい、といつも言っていますけど、要するに芹沢九段的な意味で常識的なんですよね。形をいろいろ知っている感じで、そこに、ええいままよ、といった感じの手が混ざってくる感じ。

またベテランには勝率が良いのですが、自分より上位にはとことん勝率が悪いイメージで、ベテラン相手だったらこういう手を指してもミスをしてくれて挽回できるんですが、上位陣相手だとそのまままとめられてしまうんですよね。

ちょっと悪い意味で正攻法を避けているようなところがあって、こういう指し方を直さない限り、なかなか上位陣には通用しないでしょうね。

3二歩は第一感ですよね。受けきれそうな局面もあったと思うんですけどねぇ。

サンデーモーニングでは外交関係についてやっていましたが、佐高信は靖国については、国ではなく市民が基準を決めるべきだ、といっていましたけど、手続き論で、合祀してはいけない人間がいるとか、もっと直接触れるべき実態があります。

また、(理想的に運用されたとして)他国の戦争被害者を埒外に置いて、自国周辺の人間ばかりを祀って戦意高揚に使うあのシステムそのものに対する問いかけがあってしかるべきでしょう。

佐高信は寺島(三菱(以下略)・岸井主筆といったところととても仲が良いんですけど、もやもやっとしたことを言って具体的なところには触れず、いかにも上から言っている雰囲気を醸すのがやっぱりこの3人は似ているんですよね。

この人、うるさ型の人でも結構評価している人が多いですけど、この感じ・方向性にごまかされてしまうレヴェルであるのが日本のジャーナリズムの悲劇だと思います。

その岸井主筆は今回は休みで、毎日の与良正男論説委員が来ていましたけど、岸井主筆に比べると数等まともな印象。毎日では近藤勝重さんも僕は悪いとは思わないですし、全員が極悪人かといえばそうともいえないんですよね。限りある人材をしっかり配置して、少しでもまともな方向に近づけていってもらいたいところ。

与良さんがいうには小泉の靖国参拝についてよくやってくれたという若者が多いらしく、その背景には「中国韓国に追い込められている」という意識があるのだとのこと。また「閉塞感」があり、そういったものは年寄りのほうにも波及しつつあるとのこと。

やはりそういう意識があるのでしょう。(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/53679370.html

参拝すればするだけ日本は国際社会の中で付けが蓄積していき、中国の進出を許すことになります。たとえばガス田などはその影響が大きく、尖閣付近へ侵入を許しても国際社会が必ずしも日本を後押ししない原因にもなっています。

まさに彼らとその支持者は日本を売り渡す売国奴です。

日本の若者はどうしてこのように売国奴ばかりになってしまったのでしょうか。私はやはり愛国心教育の歪みにその多くが求められると思っています。(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/53520247.html

続いてのオスプレイの問題では、日米地位協定を改定するといって改定しなかった民主党を強く批判。提起した形跡すらないとのこと。ここでも小沢がまるで公約を守れなかったことがよくわかりますよね。地位協定の改定を掲げながら小沢を支持する人たちは、一度立ち止まるべきなのではないでしょうか。

この問題については鳩山政権の責任は重く、後継の政権の責任はさらに何倍も重いといえます。そしてこの問題についてはその後継の政権を批判せず、公約違反を批判しなかってメディアに極めて大きな責任があるのですが、ここでは触れれていません。自分たちを蚊帳の外において何を言うのでしょうか。

沖縄の人たちも、鳩山政権がいろいろ言われていた時に、いうべきことをもっと言って発信するべきだったと思うんですよね。

与良さんによると、ドイツは改定した。日本が改定するには東アジアの平和への努力が欠かせないだろう、とのこと。

アメリカの沖縄での振る舞いをみていると、東アジアの平和という視点と、沖縄にアメリカがいることがどれほどリンクするのか、甚だ疑問に思いますが。

続いての汚染水問題では、 萱野稔人さんが東電の破綻処理に触れ、参院選では触れられなかったことや責任に言及。
参院選で触れることを避けたのはメディアであり、責任についてももっと、銀行や官僚組織の方まで具体的に上がればなおよしですが、電波にあまり乗らない重要な論点が流されたとはいえるでしょう。

続いての大崎麻子さんも、とりあえず東電と株主の責任に言及。佐高信も東電は潰しておけばよかった、といっていましたが、今からでも遅くはないのです。事故当時テレビでそのようなことを言っていた記憶がないのですが。

全体として汚染水の危機的な状況を観て、東電の抜本的な処理は避けられないのではないか、という常識が広まりつつあり、当然に触れることができる空気になりつつある、というのが良い兆候だと思います。

「風を読む」の被曝の特集では萱野さんは、福島の被曝された人たちに二次被害を与えないように気を付けたい、といっていましたけど、それ以上にある部分の二次被害が起こるのは仕方がないことだ、という視点から国がその分を保証することが必要でしょう。その両面からしっかりと二次被害ということを抱え込むことで初めて、二次被害を避けることができるのだと思います。

大崎麻子さんは特に内容の無い中身。佐高信の内容も、ぼやっとした、直接病巣に迫るという意味でのジャーナリスティックな価値のない話。

与良さんは核燃料サイクルをやめるように提言。プルトニウムを持っていることと核武装の関連を指摘。

また原爆と原発を分けて考えていたのはよくなかった、思考停止に陥っていた、と振り返り、これは例えば広島市長のように完全に区別する、というような言い方と比べると先に進んでおり、その意味ではまともなのですが、実態は「分けて考える機会すらメディアが与えなかった」というのが正しいといえます。

東北の人に言わせると、東海村が出来たのはよく知っているのですが、女川などは、あれっと思ううちにできていたとのこと。事故後に54基もある原発列島であることは常識になりましたが、それ以前にそのことがどれだけ知られていたかというと心もとないでしょう。

やはりメディアによるサボタージュがあった。そしてそのようにした動機は主に広告費のお金の流れであった、といえます。そしてそのことを振りかえらない限り、テレビがまともな機関として、良く知っている人から扱われることはあり得ないでしょう。

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