富士フイルムフォトサロン 企画写真展 伊知地国夫「 写真で楽しむ 科学のふしぎ 」 その6

#その他芸術、アート

今週はため込んでいた録画を消費する週間で、まずは「知られざる大英博物館」の3部作を鑑賞。第1話の「第1集 古代エジプト 民が支えた3000年の繁栄」はエジプト文明の素晴らしさを解説したもので、高度な科学・芸術の成果と、記録を残すことを非常に重視した文明であるということを解説。

「第2集 古代ギリシャ “白い”文明の真実」は前振りの後のメインディッシュと言える内容で、ギリシャ文明は貧しいがゆえにエジプト(やアジア)に雇われていた大量の傭兵が国元に持って帰った技術や知識から始まり、発展したものと解説し、その模倣を示す遺跡を探索。

ギリシャ彫刻はそもそもが極彩色で、復元するといよいよエジプト彫刻とそっくりです。

天平の仏たちなどともかなり似ていて、直接の影響も指摘できますが(もしかして色彩についてはそうとも言えないのでしょうか?)、感受性にも似たようなところがあったのかなぁ、とも感じます。

ギリシャ彫刻に色があったり、ギリシャ文明が近隣の文明の強い影響のもとに成立したということは250年前は知られていたのですが、そのころに成立した著作の捏造で忘れ去られてしまったのだそうです。

西欧列強が侵略を正当化するために、自らが優れていることを示さねばならず、そのためには独立した高度な文明であるギリシャ、という像が必要であり、そこに淵源があるという神話を作ったのだとのこと。

そのために像は他と違って白くなければならず、いろいろな博物館や大英博物館ではパトロンによって大規模な像の洗浄が行われたとのこと。

世界で初めてこの特集はその洗浄ブラシを放送したのだそうですが、アジアの国である日本らしい立場を守った成果といえるでしょう。

250年そのような中で嘘が流布されてきたということは、現在はその嘘が250年ぶりに明らかになる特殊な位置にいるといえるでしょう。まさにあらゆる分野で西欧の近代というものが相対化され、検証されるただ中に突入したといえます。日本は日本としての主体性を守りながらそういった世界史を見詰めることができれば、いろいろな分野でリードする成果を出せる可能性があると思います。

そういえばこの前の私が行ったギリシャ展

国立西洋美術館 大英博物館 古代ギリシャ展 -究極の身体、完全なる美 その1
いや~、大分涼しくなってきましたねぇ。今横から鈴虫っぽい虫の鳴き声が聴こえるんですけれども、やっぱり、みなさん体調管理にはお気をつけください。震災はやはり、どこまで事故の清算が進んでいるかが気になるところ。事実関係が精確に掴めない...

でもそもそもは色が塗られていたという解説はなく、NHKの同展の特集でも言っていなかったと思います。なので私も元々色があるものだという風な目で鑑賞した記憶がありません。

最近の高校の参考書でもまだ、エジプトを孤立的な文明と扱っていて、首をかしげたのを覚えています。

この番組のような内容が学問の世界全般に成果として行きわたるにはまだラグがあるということなのでしょうか。確かな内容なのでぱっと切り替えるべきだと思うのですが。

またギリシャについての認識を言えば、社会的な、もしくは近々の研究のギリシャ・ローマ像のどちらについて言っているのか、確かめてから対話をすることは必須であるといえるでしょう。アプリオリのものであるかのように、ギリシャ・ローマという言葉を会話で出す人はそれだけで見識不足ともいえる時代に入ったといえます。

「第3集 日本 巨大古墳の謎」は墳墓の伝統と革新の中で古墳が消えてゆく物語。明治のお雇い外国人が残した極めて詳細な記録が、破壊される前であったり立ち入り禁止以前のもので非常に貴重であるとのこと。

明治時代に立ち入り禁止になる前には古墳の上に畑が作られていた様子が印象的。これは明治以前と以後の天皇の在り方を象徴的に表しているといえるでしょう。

他には「ロシア沿海州 ウスリー タイガ 原生林に幻のトラを追う」や「体感!グレートネイチャー 「地球の製氷工場“ポリニヤ”の謎に迫る サハリン」」など北のロシアの自然を扱ったものをいくつか。

昔から日本国内の自然は執拗に取り上げられるのに、一歩国境をまたぐとさっぱりな番組・教育に疑問を持っていました。また私自身も知らなければならないと思っていたので、以前に観た「生命の大地・地球「孤島のカルデラ湾~千島列島・ウシシル島~」」やカムチャッカ火山群を扱ったいくつかの番組などと合わせて、それがだいぶ補完されて来たように思います。

宮沢賢治がサハリンに旅行に来たことがあるとか、かなり賢治に詳しい方の私でもよく知らないことがあって、こういう微妙な国外の話になると語られなくなる傾向があるのですかね。

サハリンに大きな湖があることは知っていたのですが、それが対流を起こして、冷気を運び、流氷を作る、というメカニズムの一翼を担っていた、というのが面白かったです。

ウスリータイガは日本の森とシベリアの森の両方の特徴を持つ巨大な森林地帯で、比類ない豊かさを理解できました。

カムチャッカ火山群の威力は圧倒的ですね。

美術系では「幻の名碗曜変天目に挑む」を。日本の二人と中国の一人の3人がそれぞれ別個に未だに再現できない曜変天目の再現に挑むもの。

二代で追いかけている職人が本命なのかと思えば、再現したのは磁器試験場の研修課程出身の美濃焼の人。ただし人為的に作ったもので、本人も昔の職人の作り方とは違うだろうと思っている様子。

職人は焼成の加減で再現することにこだわっていたのが、番組をみている間中は怪訝だったのですが、こうやって感想を書き始めて「ようへん」が「窯変」と変換されるのをみて、なるほど、そういうことだったのかと納得。

職人は先を越されて肩を落としてしまい、二代を支えていた母親も死去されてしまいました。しかし、この番組は2003年のものの再放送であり、現在検索すると、そこからさらに精進を重ねて再現度が向上した職人の曜変天目をネットで見ることができます。ここまでできたら立派なものなのではないでしょうか。「長江惣吉」で検索してみてください。先着した「林恭助」氏のも見事です。

面白かったのですけど、ひたすらそれぞれが再現に挑む構成であり、曜変天目の文化的な謂われや科学的な分析などを挟んで、より曜変天目を知れる構成だと良かったです。

「先人たちの底力 知恵泉スペシャル▽信長の城革命~天下統一への知られざる戦略」はこれぞ他国にはない日本独特のもの、と語られる城の天守が、信長が権威を示すために、寺の様式を転用して、独創的に造り上げたものであることを説明した内容。

安土城の内部は伝統の技に満ちており、それは信長の趣味だったと同時に、絶えそうだった京都の伝統技術を持った集団に仕事を与え、味方に付ける意味があったのではないか、とのこと。

番組中では信長の伝統をうまく使っていく智慧を紹介していて、何にもないところからの独創、という人ではなく、伝統を踏まえた上での創造としての革新、という手順を守っていた人であることがわかります。岡本太郎もそういう立場ですけど、そうでないと創造性というのは出てこないのですよね。

それにしても、現代でもやっぱり江戸城を建てるべきだと思うんですよね。伝統の技をつなぐことができるのがまず一つ。また、日本独特のものを東京に居ながらに体験できる環境を整えることができます。これは観光立国を目指すうえで重要なことだと思います。たまには将棋連盟や囲碁棋院に使ってもらうのも良いでしょう。

江戸の長所を吸い上げると同時に、「脱明治」という日本が進むべき方向性も明確になるでしょう(今は逆に行きたいみたいですが)。

「検索deゴー!とっておき世界遺産 【戦争と平和】」も良番組。このシリーズは知られるべき戦争エピソードが多く放送されますが、中でも良かったと思います。

戦争といえば、この前書きました戦争責任については、丸山眞男の主張全体にとってとても重要な部分です。

氏は個人の確立、ということを説くのですが、戦前のインテリが総出で戦争を主導・賛成したとなれば、その確立されるべき個人とはどのようにすれば確立されるのか、という部分が非常な困難を抱えてしまうんですよね。

もっと根本的な改革を加えなければそういったものが確立されないのではないかということになる。

私の答えは、結局戦前式、それを受け継いだ戦後式の教育の延長線上には、確立した個人を生み出す能力はほとんど存在しないということです。

やはり近年露呈した数々の問題や非合理な対処、倫理違反によって、それは明らかであるといえるのではないでしょうか。

江戸期以前の人を育てるやり方に学ぶべき部分が非常に多いと思います。

なので丸山眞男式に個人を確立する、というのは、仮に知識人が確立しているのか、というと現代の知識人も当時の確立のされ方と大して変わらないと思います。

なのに、都市の似非知識人が悪いといったような考え方は現代まで生きており、たとえば、わたしはポピュリズムに関する議論でそのような感覚の後継を感じることがあります。これでは日本の諸問題はまったく解決されません。

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