知恵泉 夏目漱石

知恵泉の夏目漱石の回、前編の講師は島田雅彦。この、よくも綿矢りさたそを!(デマ(?))

私はほとんど漱石を読んでいないので、以下の感想はそのつもりで読んでください。

番組中では、松山中学で英語教師をしていたことがある漱石の「教師は必ずしも生徒より偉いわけではない、誤ったことを教える場合もある、ゆえに生徒は教師が間違っていると思えば抗弁すべきだ」という言葉を紹介。

漱石が年端の行かない学生に対するのにこのようなのに、現代の教師はこのような気持ちをかけらも持っていない人がほとんどなのではないでしょうか。

このような感覚は幕末の適塾が有名です。そのほかの私塾・藩校などを観ていても共に学び合うという姿勢が顕著であり、日本の教育の基本であったといえます。

漢籍に通暁していた漱石は、そういった精神を受け継いでいたということだと思います。そして現代では受け継がれていないということです。

仏教でもたとえば、お釈迦さまがそのような人だったといわれています。

「ここでは個々の修行者が独立性をたもっているのである。仲間に盲従しない。」(ブッダのことば 323ページ)といったことをはじめとして「ゴータマ・ブッダは、以下の文から見て明らかなように、自分が教団の指導者であるということをみずから否定している。たよるべきものは、めいめいの自己であり、それはまた普遍的な法に合致すべきものである。「親鸞は弟子の一人ももたず」という告白が、歴史的人物としてのゴータマ・ブッダの右の教えと何ら直接の連絡はないにもかかわらず、論理的には何かしらつながるものがある。」(ブッダ最後の旅 229ページ)というのは、こういった考えの更につき詰まったものといえるでしょう。

また仏教の教育について中村元さんは「原始仏教の興隆した時代には、マスプロダクション教育が行われていなかったことは言うまでもありません。」(仏典のことば 211ページ)と、否定しないまでも、マスプロダクション教育に疑問を投げかけていますが、このような精神はそれを避けるために必須です。

校内暴力の間接的な原因ではない、と否定されていますが、原因の一つではあるでしょうし、さらに多くの問題も含んでいます。「員数」(中村元「仏教の真髄」を語る 16ページ)的な教育を改めるために必要な精神といえるでしょう。

また、「精神が腐っているようなところでは、外面的な機構をいくらいじってみてもダメです。」(中村元「仏教の真髄」を語る 110ページ)という言葉も、強く胸に留めておくべきといえます。

芥川に与えた「ただ牛のようにずうずうしく進んでいくのが大事です。」という言葉も、犀の角のたとえを思い出させるようなものですよね。

司馬遼太郎さんは、漱石を非常に愛したことで有名ですが「昭和への道」などでは、日本からリアリズムを失わせ西洋化させた人物として、批判もしてもしています。

どのようなことなのかと読んでみると、漱石は米が稲からできることを知らなかった。これはリアリズムの後退である、といった、よくわからないような内容。

それはともかくとして、漱石が日本にそれに近い影響を与えた点はあると思います。

夏目漱石が東洋の無我と西洋の自我は違うものだとして非常に悩んだ、という「神話」が東洋思想の誤解の根にあると思います。

東洋の無我というのは、時に信条のためには自らの身命を顧みない激越な部分を含むものですが、「則天去私」というのはどちらかというと、現代の人が普通に感じる「無私」のイメージだと思います。それを実現したといわれる明暗など、そういう話なのではないでしょうか。

「無私」や「滅私奉公」が天に対する誠実を示す言葉であったのが、天皇・組織に対する忠誠に置き換わる跳躍台になったのではないかと思うのです。(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/51590092.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/52833079.html

そういう視点から観ると、司馬遼太郎さんが主張していたように、江戸時代の確立した個人を失わせ、ひいてはそこに立脚するリアリズムを失わせた人物として漱石を挙げることができるのかもしれません。

また、白川静さんは「エイルヰン物語」というイギリスの小説を元に「ヨーロッパに対する東洋を書こうとした」のが漱石の「草枕」ではないか、と書いていて(桂東雑記Ⅰ 105ページ)「禅的な世界というものを東洋として掲げるという意図があったのではないか」と書かれています。

また一方で「「草枕」に出てくる東洋は、これは一種の低徊趣味的なもので、もう一つ積極性に乏しい」とし、「それは東洋文化全般を覆うものではなくて禅宗、禅というような、ある一つの場から東洋を見るというような見方になっておる。」と理由を書いていますが、私が思うにそれは禅的な場から見ているからではなく、上のような誤解があるゆえの、その結果としての積極性の乏しさであって、それはひいては禅に対する誤解であったといえると思います。

続いての文章で白川さんは佐藤春夫や芥川など、弟子たちにも同じようなところがある、としていますが、これも漱石から誤解が受け継がれたのかもしれません。

関連で結構前のドラマの感想を張りますけど、歌麿Ⅱはドラマを二時間ずっと観る、というのが私の中ではハードルが高く、観なかったんですけど、所々観ただけで、当時の江戸風俗の再現が興味深く、花魁の豪壮さとかこういう凄い物だったんだろうなぁ、と想像させました。

歌麿はかなり特殊な絵師、というのが私が色々観て来た印象で、特に印象に残るのは曲線ですか。たまにひらがなが非常に色っぽい字だ、といわれたりしまずけど、美人画でそういった類の曲線の色気を極限まで追及したのが歌麿ではないかといった気がします。

放送日現在、東京国立博物館で「立姿美人図」という十指に入ると思われる名作が展示されていて、かの「見返り美人」(菱川師宣)と向かい合う形で、美しさを競っているので、好きな方には是非観てもらいたいと思います。(かなり前)

ドラマに戻ると水谷豊は昔から結構好きで、派手な刑事貴族が好きだったんですが、相棒はおとなしい上に脚本が良くないと思うんですよね。浅いし練られていないといいますか。ファンの方には申し訳ありませんが。あと右京役の時の水谷さんは動きが硬いと思うんですよね。

歌麿にも出ていましたけど、以前に岸部一徳の役の人は杉下の分身なのではないか、という中位の長さの文章をメモに書いたか頭の中で練ったような気がするんですが、どんな感じでしたかね。でもなんとなく、わかるような気がしませんか。二人の人生はちょうど裏表を構成していますよね。

杉下さんといえば気になるのが、この人、帝大(東大)卒・イギリス・落語好き、と漱石と揃えが同じなんですよね。意識しているのか。偶然だとすれば何か社会的な考察も出来そうな気がしますが、単純に、そういうのが日本社会で好まれるということでしょうか。
欧米重視でアクセントとして日本文化が入っている感じ、ともいえるでしょう。

後日やっていた「みおつくし料理帳」は風俗描写が興味深いという評判を聞いていたんですが、やはり私は遊郭で正座をしていたのが気になりました。浮世絵の遊郭で正座していない物が多いので、その場だけの特殊文化だった、という説があったそうですが、遊郭が描かれることが多いのでそう思われただけで当時は日常生活でも正座はあんまりしていなかったみたいなんですよね。
そもそも遊郭では着物が重くて、なかなか正座できたものではありません。こういったところはしっかりやってもらいたいと思います。

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