9月27日の岩手日報では、公務員のブログ暴言について反応。「滅んでいた東北のリアス式の過疎地」など、特にご当地に関係があるところがピックアップされているのが特徴。
10月7日の岩手日報では読者お便りの欄で「踏切で人助けた女性悼む」と新大久保の韓国人留学生と日本人カメラマンの死を並べて悼んでいましたが、扱いの差は気になるところ。
「26歳の中国人留学生、厳俊さんに大阪府警は感謝状を贈呈した…」(http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syunzyu/article/41543)なども同等の扱いで然るべきですよね。
政府には、日本人の伝統的な精神とは決してなじまない靖国のような感覚があるのではないでしょうか。
10月8日のモーニングバードではtppの聖域が切り崩されたというニュース。
アジア太平洋食料センターの内田聖子さんは、交渉過程を知らなかったので、聖域が守れると思っていたのでは、と解説していましたが、館野晴彦さんがいうとおり、最初から分かっていた結果であって、このような理由付けは(政府に擦り寄った)ごまかしではないでしょうか。
わずかに政治に関して知識があれば、最初から嘘であるな、とわかることですが、それにしてもあっさり嘘をつくことは看過できません。「農産物の関税維持訴え=石破氏「重要5品目守る」―反TPP集会」(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131002-00000078-jij-bus_all)という、とんでもない嘘をついていたことを示す記事があります。
「また私は、配属将校なんかとも親しくして、いろいろ軍の話を聞きました。上海事変、満州事変以後の、ああいう戦争のしかたが、全部軍の策動によるものだということを、配属将校なんかもいくらか知っていたようで、私がいろいろ尋ねると、それとなしにそういうことは言っていた。これは事実なのです。そういうことを重かさねて、挙句の果てに国土が焦土になるという、」(白川静 続文字講話195ページ)という文章がありましたけど、こういったことは国民に対しては知らされず、嘘をついていたわけです。そしてそれをメディアは流しました。
また士官学校などでも、日本は正義の義戦を戦っている、という風に教え、テストでもそのように書かせました。
なぜあのようなことに至ったかというと、それは政府が国民に嘘をついたからだ、ということがもっと率直に反省されるべきだと思います。
統帥権がどうとか、その前に、このような基本的に部分の総括があって、それを重く観る戦後の政治風土を構築すべきだったのです。こういった発言にはそのような悲劇の重みの欠片もありません。
少なくとも、官僚、国や自民党は子供に嘘をついてはいけないという資格はありません。
またこれは、「特定秘密保護法案」とも関わってきます。ノモンハンの戦いなど、稚拙な作戦の末のとんでもない惨敗だったのに、政府の内部にまで、そのことを知らない人がいたといわれます。この法案は、そのようなことをまた起こしかねないものなのです。
このような法案を通そうとする、政治家・役人、無視を決め込むメディアは、戦前・戦中の悲劇を一体何だと思っているのか。そこから正しい智慧を得ようとしないのか。その教訓をすべて捨ててしまって、日本人としての呵責が心の中に生じないのか―――――――。
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