太田記念美術館 歌川広重「月に雁」-花鳥風月の美

#その他芸術、アート

行って参りました。

広重は評判が最近微妙な絵師で、国芳展のカタログには、当時は国芳>国貞>広重の人気の順だったのにちょっと前には逆になっていると嘆かれており、どうも明治以降評価がひっくり返ったもよう。

日本の美術史の正統から外された浮世絵ですが、その静謐で高雅な世界は、大日本帝国の美術としてまだ許容範囲だったんだと思います。

というわけで広重の大きな評価は明治以来の歪んだ美術史の産物だったのではないかという雰囲気を各所から感じるのですが、広重自身の受容のされかたも微妙に歪んでいたことを指摘せねばならないでしょう。

一円切手に採用された「月と雁」は福寿という吉祥文字を馬と鹿の絵文字にアレンジした印が押されているのですが、同時に展示されていた切手ではその部分はカットされて構図が縮められていました。

展示をいろいろ観ていくと広重も戯れ気味だったり、冗談かと思うようなセンスを持っているのですが、今までの広重像の中ではそのような部分は等閑視されてきたように思います。国芳などと同じく、広重も生粋の江戸っ子なんですね。

「江戸百」は意味深なシリーズで、暗号が隠されていると最近も話題になっていますけど、こういうのも広重の遊び心の一環ととらえることができるでしょう。

また、ただふざけるというよりは、今回展示されていた「渡船」の素描などに良く感じましたが、普通にしている人そのものにも諧謔味が感じられるのが、広重の面白いところ。

そもそも客観的な指標にもなりえる海外への影響はものすごく大きく、この前園芸展で解説されていた「タンギー爺さん」の背景などに描かれていますが、その巨大な実力には異論の余地はありません。

一方で広重の研究も進んできていて、「サントリー美術館 殿様も犬も旅した 広重・東海道五拾三次―保永堂版・隷書版を中心に―」

https://shakaitsuugan.work/2012/01/25/52474584/

のカタログでは、円山四条派の影響などが指摘されていますが「菊に雉子」にそのような華麗な花鳥画のエッセンスを感じました。

谷文晁や中国の版本の影響も指摘されているらしく、私が今回他に感じたのは江戸琳派的な美意識で「風流新形 東都名所 すだの渡し」などは至近距離に大きな葦を描いて、遠景を望ませるという広重得意の構図ですが、その葦の佇まいには何となく江戸琳派的な美意識を感じます。琳派的な主題を手前に描いて、あとは遠景をつけ足した、というのが広重の一部の作品群の真実なのかもしれません。

本展には「琉球人来航図巻」という広重10歳の作品が展示されており、非常にうまいのですが、置かれていた過去展のカタログによると、山崎龍女のような天才なら10歳でこのようなものを描くかもしれないが、そういう話がない広重が果たして10歳でこのようなものを描いたであろうか、という美術史家の疑問の言葉が残っているとのこと。

どうも広重はあんまり画技が達者な方だとは思われていない節があります。サントリー美術館の東海道五十三次展のカタログでも、ニュアンス的に広重の画技は北斎に及ばない、というような形で書かれており、たしかに書き写す技術で北斎の右に出る絵師は皆無といっていいのでそれくらいなものなのでしょうか。

私は広重は十二分にうまいと思うのですが、同時代の上手い絵師は多いですので、その中で比較されていまうということでしょうか。

技術的には一番よく感じるのは、視点の自在さ。「芦に鴨」など、ミクロを俯瞰するものも、和光同塵といった、極小世界を慈しむ視線が感じられます。同趣向の「雪中蘆に鴨」もすばらしく、かわいらしさの極み。

「東都名所 高輪之名月」は、飛翔する雁が自在な視点で俯瞰する広重そのもののように観えます。

比較展示ということなのか、同趣向の英泉の作品の「張替絵 南天 月に雁 他」は下から月と雁を観ている構図で、俯瞰感はありません。

「撫子に蝶」といった作品には、早くに親を亡くした広重が、ダ・ヴィンチのように代わりに草花をスケッチしていたのだろうか、などと想像させる作品。

広重の作品には特有の侘しさがあるのですが、それは早くに親を亡くしていることと恐らく無関係ではないでしょう。

「月二十八景之内 葉ごしの月」などは侘しい秋の雨で、そのような特徴がよく表れています。ただ侘しいのですが決して虚無的ではなく、虚無的だが侘しさが感じられない作品が溢れている現代と、芸術的な感興と充実感は比較にならないと思います。

またこの作品は「不堪紅葉青苔地 又是涼風暮満天」という白居易の詩が添えられていて、絵と字面を観ているだけでも感興に堪えないものがあります。広重は浮世絵師の中でも漢詩を好んだ人なのでしょう。

江戸時代の教養で歌が重視されたことですけど、この前芦田愛菜ちゃんはなぜ演技がうまいのか、ということをテレビでやっていて、それは本を読むからだ、ということで実験をやっていたのですけど、本を読む子の方がやはり演技が上手い、という結論を出していたんですよね。

本を読むと、感情の種類が揃って、それを表現できるようになるんですよね。

江戸時代の漢詩や和歌の教養というものは、一つはそういうものを意図していたのだと思います。一種の感情の型稽古のようなものだったのでしょう。

広重は肉筆画が多く残されている浮世絵師で、天童広重とよばれる一連のシリーズが有名ですが、工房生産であるともいわれ、私も天童広重の展覧会に喜んでいったのですが、あんまり感興が沸かなかった、ということがありました。工房生産かはともかく、あまり気合が入っていない作品も多いのは事実でしょう。借金のかたに配られたものですが、今ぐらいまで持っていれば、当時の借金分くらいにはなったんですかね?

天童広重も高い借金のかたのものは非常に気合が入っていますし、前に観た「霧中朝桜」もすごい作品で、広重の縹渺とした世界は、肉筆画でこそ真価を発揮します。

今回の肉筆画コーナーのものはどれもかなり気合を感じさせるもので、遠い雪景、大気、清澄な空間、と見事です。雰囲気はターナーも思わせますが、広重と比べると、あちらはぎらついていますね。

大胆な橋を描いたものがあって、当時はそういうのが多かったのでしょうね。

「上野妙義山雨中」はしんしんとしていて、雨がさーっと降っており、その形状はまさに山水画そのもの。妙義山はネットで調べて驚いたのですが、山水画のように峻厳で、このようなところが日本にあるのかと思いました。広重もそういう評判を聞きつけて描いているのでしょうね。

「東都名所 佃島初郭公」は寂しげな雰囲気。

二代の「東都名所 高輪夕景」は当時はやったという青一色の刷り。

「名所江戸百景 京橋竹がし」は「彫竹」と彫師の署名が入っていて、浮世絵師の中でもチーム性が強そうな広重の絵の特徴を示します。直線が細かく規則的に並ぶの錦絵もそうですし「木曽東海道六拾九次之内 四拾七 大井」の細かい雪の点なども彫師の技を想像させます。

「東都名所 道灌山虫聞之図」は荒川区らへんを描いたもので、鈴虫、くつわむしなど、音が描かれています。

「真間の紅葉手古那の社継はし」はスケールが大きな作品。おそらく比較のためか出された英泉の「江戸八景 愛宕山秋の月」は立体的で、賑わいが描かれています。

「東海道五拾三次 池鯉鮒 首夏馬市」は見事な風表現。

「武陽金沢八勝夜景」は広重の実際の箱根旅行を基に描かれているとのこと。

豊国の「皐月雨の図」は足の甲を足指で掻いています。

国芳の「四季遊観納涼乃ほたる」は描かれた人物の動きだしそうな雰囲気が国芳らしい作品。

葛飾北斎の「富嶽三十六景 東海道品川御殿山ノ不二」は素晴らしい雲上感。

スケッチがたくさん出されていたのも、本展の良いところで「洲崎初日之出」など直筆の柔らかい人物描写が堪能できます。しかしなんで、このように大量に下書きが残っているのですかね?

広重の絵はやはりよく、いつまでも浸っていたくなるような展覧会でした。ありがとうございました。

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