行って参りました。
江戸文化としてお笑いを積極的に打ち出していこうとしているように思える昨今の江戸美術界の傾向がいくらかあらわれた展覧会でしょうか。
表題では「マンガのルーツ?」とはてなが振ってありましたが、まさにルーツで、?はいらないと思います。
以前、山藤章二さんが絵に文字を入れるというので斬新だということで話題になりましたが、山藤さんはともかくとしてこの論評について言えば、いくらなんでも江戸時代と感覚が切れすぎていると思います。
肉筆コーナーでは竹田春信の「もの想う美人」が、くたっとしていて、雰囲気がある作品。
他には和風の筆遣いの遊女と漢画風の鍾馗を組み合わせる暁斎が得意としたものがいくつかあって、伝統的な画題であることが知られます。剛弱が揃って、なんとなく精神性があり、技術も盛り込めて、良い画題ですからね。
錦絵では歌川秀貞の「蛸踊り」蛸が踊っているぐにゃぐにゃのふざけた図ですが、それでも波打ち際などよく見ると丁寧に摺ってあります。
国芳の「江州坂本入江の浪士白狐にたぶらかさるる図」は狐にたぶらかされている大名行列をみんなで笑っている図ですが、やはり、微妙に隠れつつもみんな普通にみていますね。
狸が出てくる秀光の「夜遊御無用」は書初めで、「茶釜」と書かれています。
国芳の「流行猫の曲鞠」は当時の蹴鞠の名手を描いたもので、肩の上に載せていたり、本当に現代のリフティングと変わらないと思います。
国芳の「駒くらべ 盤上泰平棊」は将棋の駒で戦いの様子を描いたもの。「安堂ロイド」でも将棋が良く出てきますけど、物語の進行にもモチーフとして使っていますよ、というメッセージを描写から感じますよね。刑事の「手駒にした」なんていう表現には、一度死んで戻ってきたかに見える黎士を思わせます。
関斎の「よくきく薬種」は薬と病の戦いを擬人化して描いたもので、欲を言えば漢方的な解説もあると面白いですよね。
歌川広景の「青物魚軍勢大合戦之図」は幕末の水戸と紀州の将軍後継争いを暗に描いたもの。
国芳の「猫の当字 かつを」は猫を組み合わせて字を書いたもので、中には袋に頭を突っ込んだ猫も。袋に頭を突っ込みたがる猫の習性はいつの時代も変わらないらしい、との解説。
広重の「新板 かげづくし」は影絵の絵ですが、障子がある日本独特といえる面があるのでしょうね。
本展覧会では広重のものが結構多く、解説でも、国芳一門や広重門下によってこういった絵がたくさん描かれた、と特記されて解説されていました。こう考えると、巷間の、明治以来の広重のイメージはやはりかなり偏っているといえるでしょう。
国芳の「上下絵」は上下どちらから見ても顔に見えるという、良く知られた趣向ですが、人の顔ではないものになるものが多いのが、驚きです。
国芳の「人かたまつて人になる」は最近では一番有名な浮世絵の一つ。歌が添えられていて「人おほき人の中にも人ぞなき人になれ人人になせ人」となにやら社会に対するメッセージのようにも読めます。
国芳の「きたいなめい医 難病療治」はやぶ医者の姿を描いたものですが、描かれた一人の娘は将軍の娘を描いたものではないかと取り調べを受けたとのこと。取り調べを受けてもギリギリの線をいき、生涯踏み外さなかった国芳は、まさに強かというべきでしょう。
書き込まれた文字なども、ものすごくぎっしりと、流麗に書かれており、この文字を彫るエネルギーにも圧倒されるのが、本展の遊び絵の特徴の一つでした。
国芳の「尻とり根なし種」は当時の芝居や歴史上の人物を一堂に配した作品で、江戸のスターシステムと言えましょう。
こういった本当にマニアックに歌舞伎などを知っていないと買っても意味がなさそうなものがたくさん。みんなよく知っていたのでしょう。
歌川芳虎の「道外武者 御代の若餅」はいわゆる有名な「織田がつき羽柴がこねし天下餅~」を絵画化したものですが、当初、係名主に気が付かれなかったらしく、流通に乗るも半日で没収になったとのこと。秀吉が描いてあるのと、家康もいるのでダメということでしょう。
気が付かれなかったということは、当時は少なくとも現代のように誰でも図像で思いうかべられる話というわけでは無かったのでしょう。
国芳の「流行三ツびやうし」は「とてつる拳」なる、歌と踊りののちに孤拳をする歌舞伎の余興が大当たりしたらしく、それを描いたもの。AKBのじゃんけん大会でも、折角なので、歌うなり踊るなりしてからじゃんけんをしても、面白いのではないですかね?
それにかけた国芳の「じいさんばあさんあねさん りう行拳」は当時の流行神であった正受院の脱衣婆・日本橋の翁稲荷・於竹大日如来の三神を描いたものですが、顔色など蒼く、どう観ても妖怪よりです。
於竹大日如来はもう一枚描かれたものが出ていてそちらの解説によると、江戸佐久間家の下女だった人なのだそうですが、死んでから神に祭り上げられ、当時爆発的な流行を見せていたとのこと。
歌舞伎では二匹目のドジョウを狙って「つく物拳」なるものをやったそうなのですが、おおこけしたとのこと。国芳の「新作 つくつくけん」という絵に描かれています。
本展覧会はあほ臭いものほど、ものすごくふざけた不安定な姿勢を取っていて、逆に中心線が強調されているのが観えるのですが、この絵などそういったことが強く表れています。
国芳の「浅草奥山道外けんさげ」は当時企画された朝比奈人形という巨大人形を描いたもので、はじめは頭だけで3メートルのものを作る予定だったのが、全長3メートルになってしまたとのこと。当時は結構、こういうクラスの人形なり山車なりを作っていたのでしょう。
広重の「狂戯芸づくし」は江戸時代のあほ芸をする人々を、愛情深い筆致で描いでいます。たとえばブリッジをして盃の酒を飲むというもので、あほはあほですけど、超高等芸で関心もします。
江頭なんとかとかいろいろ日本にもあほな芸をする人はいますけど、この感心する部分が皆無なのは、寂しい限りです。
また品がなく、手っ取り早く刺激的な絵を出そうという魂胆が芸とは呼べません。
歌川国貞の「福笑い」は皆様ご存知の遊びのための普通の福笑い。国貞といえばまさに当時の巨匠ですが、それが手掛けているのが興味深いとの解説。笑いというのが重要なジャンルとして当時の文化の中心に存在していたということを示すものと言えるでしょう。
浮世絵はずいぶん観ましたが、それでも新趣向の遊び絵がどんどん出てくるところが奥深いです。後期はさらにすべて入れ替えていろいろなものが出てくるもよう。感嘆の声とともに、作者のみならず、今まで伝えてくれた人も含めて、ありがとうと申し上げたいと思います。
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