サントリー美術館 Drinking Glass―酒器のある情景 その16

#その他芸術、アート

スーパーJチャンネルでは帰還困難である飯館村の避難生活をやっていましたけど、たしかに帰りたいと思うのは当然ですが、国も、帰りたいと思われたら恥だ、というような気概でもって充実した避難生活を送れるようにサポートするのが当然ではないか。

それをしないのは、拝金主義以外の何物でもありません。原発事故とはそのように重いものです。

そのような視点の報道が無いのも極めて疑問です。

「氷見ブリ産地偽装事件 卸売り業者を不起訴処分」(http://www.tulip-tv.co.jp/news/detail/?TID_DT03=20131204111104)では文中にはないですけど、テレビのニュースでは福井産と氷見産のぶりに科学的な違いがなかったからだと説明。

そのようなことを言ったら、ストラディヴァリウスなどは、専門家が聴いても、現代の楽器と聞き分けられなかったという実験もあります。このような判決であれば、日本でストラディヴァリウスであると偽って現代の楽器を売っても違法にならないということになってしまうでしょう。

ブランドとは科学的にどのようか、ということではなく、それ自体がブランドであり、偽ってはならないものなのです。科学的な測定でも詳細が明らかにならないブランドの優位性を持つ分野もあります。

産地の人の漁法や、流通に乗せるまでの努力もあるでしょう。市場価格などと照合して、事件性を判断する必要があるのではないでしょうか。

「米、運用中止を「求める」 副大統領が北京で伝達へ 新たな設定にも反対」(http://sankei.jp.msn.com/world/news/131204/amr13120413080008-n1.htm)は本当にもったいないと思う、といいますか、本来首脳同士が交流をして、わずかでも信頼関係があれば、どうなっているんだ、とどやしつけられるんですよね。それが無いので、直接中国の首脳から引き出せるものがありません。

なぜそのような状況になっているかというと、閣僚の靖国参拝や、首相の歴史修正主義的な歴史認識の責任です。またさらにその前には、野田の約束破りなどがあります。それが交流を拒む中国側に大義を与えてしまっているのです。

靖国参拝などは国内の集票のためにやっているのであって、国益を票に替えている形で、実に罪深いといえます。

今日の大竹さんのラジオには原発ホワイトアウトの著者の若杉さんが登場。出過ぎではないのか。大丈夫なんですかね。

複数著者説もありますので、そうすればくまもんのようなことになっている可能性もあるのでしょうか。私が今まで見たのは全員同一人物のように思いますけど。

インタヴューとスタジオを交互にはさむ構成。

若杉さんいわく、一割が再稼働反対派。一割が強硬な推進派。あとは様子を見ている。一割は再稼働で本気で国が良くなると思っている。とのこと。

スタジオでは、電気料金を安くするのが国のためなのか。といっていましたけど、それは書籍中で破綻していると書かれています。インタヴューの感想として、まぁ、少し知識不足なのではないでしょうか。町亞聖さんなのかな?

次のインタヴューですぐに、経済的には意味のないことだ。との補足が。

町亞聖さんは、反射的にそういう風にバランスを取るようでは、駄目だと思う。ましてはまだ自由に発言できるラジオなのです。興味ないだけなのですかね?

なぜ国が良くなるかと思っているかと言えば、政策を変更するコスト。安全保障の観点から。といったことのためであるとのこと。

そのためには、核燃料サイクルの神話が必要で、嘘は嘘と、つき通さなきゃならない。とのこと。

熱い球をやけどをしないうちに次の人に渡す。受け取らないと左遷される。そういうことをくりかえしているのだとこと。

冒頭で均衡が取れているように話していましたけど、左遷されるということは、やはり中枢は再稼働派ということなのでしょう。

そういうことをしているだけで、現状ではどうするのかはだれも考えていないとのこと。

結局責任はだれも取りたくないということで、まさに(大戦末期の)軍部とうり二つ。これ以上まねしようと思っても無理と言えるくらい似ていると思います。

結局打開できるのは政治の力しかありません。またこのように責任を取りたくない人間に一網打尽に責任を取らせるのも、本来軍部にそうすべきだったように有効なのですが、それができるのも、政治の力に限られています。まさにやはり最後は国民次第であるといえるでしょう。

当局になぜ捕まらないかというと、イエスキリストになるのをおそれているのではないか。磔刑にされてキリスト教は広まった、とのこと。

まぁ、パウロがいなかったら無駄だったんじゃないかとも言われていますけど。

捜査当局とは我慢比べの状態であるとこと。

殉教の宗教であるキリスト教を持ち出すのですから、ある種の殉教精神をもって書かれているということなのでしょう。

もう一度事故を起こしても同じことをやるだろうとのこと。

書籍も東電と経産省が手を取り合っての友情物語???で終わりましたが、目立つシーンでしたよね。

原発なら二度目ということになりますが、戦前・戦中に、バブル崩壊に、すでに、似たような失敗を何度も積み上げているとも言えます。

再稼働派に大竹さんはうるさいハエだと思われているとのこと。

インタヴューの感想として大竹さんは、私も太田さんも胸が熱くなってね。とのこと。

ポッドキャストで聞けますので、興味のあるかたはどうぞどうぞ。

昨日の報ステの特集は手抜き除染。

「原発ホワイトアウト」で驚かされた記述の一つは、多重下請けの所で、東電はいざという時にその筋の人に働いてもらうために、下請け構造の中で利益提供しているのだとのこと。人形峠のファイルなどと併せると、そういうことはあるのだろうと推論できます。

そういわれてみれば、いままで多重下請けの構造はいくらか報道でみましたが、「なぜ」多重下請けをさせるのか。国も放置するのか、という理由の所にまで踏み込んだものは一つも観ませんでした。そこまでやらないと、闇を暴いて社会を是正するマスコミの義務を果たしたとは全く言えません。

この手抜き除染にも多重下請けの構造があるようで、同じような意味合いもあるのかな、などといった目で報道をみていました。

本来ならこういうのは警察が動かなければならないんですけどね。というのも面倒というか、三権分立が存在しないという日本社会に言ってみても、それこそその筋の人に品行方正を求めるようなものだといえるでしょう。

また「徳洲会:元事務総長を逮捕 関連会社から横領容疑 警視庁」(http://mainichi.jp/select/news/20131203k0000e040226000c.html)という告発者を守るどころか告発者を逮捕する暴挙が話題になていますけど、警察は倫理の欠片もない、というのが率直な印象です。

「日本総極道化」という言葉が頭をよぎります。

こういったのや警察より、ずっと昔のや○ざの方が倫理的にだいぶましだったのではないか。

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