朝日新聞夕刊2013年下半期その1

#その他芸術、アート

「安倍首相、靖国神社を参拝 現職では小泉氏以来7年ぶり」(http://www.asahi.com/articles/ASF0TKY201312260078.html)とのことで、今日の夕刊には「政治判断として正しいとは思えない。(林尚行)」とありますけど、そのような歯にものが挟まったような言い方ではなく、国内だけの問題としても、A級戦犯が合祀されていてる神社に参拝するのは倫理にもとる、と正面から主張するべきだと思います。

はっきり言って、岸信介の子孫がなにも総括せず大手を振ってこのようなところにいる、戦後の日本の在り方が駄目なのだといえます。

米台からも非難が上がっており、直接非難しなくとも、日本の道義が国際社会で大きく損なわれる事であって、何かトラブルがあっても自業自得と思われることでしょう。日本の外交的な不利益は甚大です。まさに売国奴としか表現できないものです。安倍はこの外交的な不利益を、私財でどのように補おうというのだろうか。(投票した人たちの私財を合わせれば何とかなりますかね?)

アメリカからも強く反対されており、これは大きな対米的な借りにもなります。
政権の能力は客観的に、金正恩政権以下だと思います。

中国の首脳は尖閣問題でも石原に感謝の念でいっぱいだそうですけど、今回でも安倍に感謝しつつ歓喜に沸く姿しか想像できません。

「伊勢神宮 変容の歴史」(http://www.asahi.com/culture/articles/TKY201309090263.html)は好コラム。
かつては「皇祖神というよりも、全国の氏神の総元締めとありがたがられた」とあり、司馬遼太郎さんの、天皇は神主の親玉、という神道観はこの二つを合体させたものであることが理解できました。また、明治の国家神道がそれを狙ったということなんでしょうね。

「歴試学のススメ世界史編」は「ヘレニズム」という言葉をまだ不用意に使っているなという印象。人権とか、西洋の建前を本気で取り過ぎているようなところもあると思います。

「文化こそ戦争を滅ぼす いま顧みたい金森徳次郎の憲法論」(http://www.asahi.com/articles/TKY201310220305.html)では「文武両道の伝統を捨て「文一道」でいいとまでいいきった金森。」と紹介されていますが、このことは二つの面で問題があると思います。

一つは現実にあるパワーポリティクスへの無視です。

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もう一つは、文武両道とは、現代において武をスポーツという言葉に置き換えて語られるように、心身の練磨が大きな目的であって、「武」を放棄するということは、そういった方面からの向上を無視することに他なりません。

江戸東京博物館 五百羅漢-増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信その3
この前実家から物資が送られてきたんですけど、野菜を包むのに使われていたものは農業新聞。将棋世界の漫画欄を描いている人は、一体どのように生計を立てているのか長年の謎だったんですが、この新聞の漫画欄に連載されているようで、疑問が氷解しました。...

かつての伝統が衰えきって、今では海外の人に「文武両道、日本になし―世界の秀才アスリートと日本のど根性スポーツマン」
(マーティ キーナート (著), Marty Kuehnert (原著), 加賀山 卓朗 (翻訳))といわれるまでに落ち込んでしまったわけです。

戦後のそういった流れの源流に近いところにいる人なのでしょうね。

少し前に開成中・高の「ペンは剣より強し」という宣伝を電車内でみかけて、これは金森さんの「文一道」のような文脈で使われているのかもしれない。同じような錯誤が学校内に存在するのでは、と感じました。

司馬遼太郎さんの強調した「書生気質」という言葉も、一見良い感じに聞こえるのですが、戦後のこういった錯誤がこの言葉の中にも含まれているように感じます。

榊原英資さんが「BS歴史館シリーズあなたの常識大逆転(2) 幕末・日本外交は弱腰にあらず」で日本はお金はあるけど人材がいない国になってしまった、といっていました。

動乱になれば幕末のように勝手に人材が出てくる、と金子勝さんが自著で言っていたりしましたけど、エジプトの動乱なども明らかに人材不足で、原発事故後の日本にも、かつてのような人材が出ているとは全く言えません。

幕末の動乱で出てきた人材は、武術なり禅なりを、国民総出でやって、その中のトップクラスとして登場してきた人たちであって、似たような鍛錬をまったく放棄してしまっている日本に、同じような動乱が起きたからと言って、そのような人材がぽっぽと出てくることはあり得ないと思うんですよね。

安保闘争の特集では、樺美智子さんの死因を警察が発表していない、というのが驚き。当時を振り返るマスコミ報道などでは、圧死、とさらっと流していますからね。警官隊に殴られて殺された可能性が高いだろう、と同級生の女性の証言。

まさにこれこそ情報公開が必要な部分といえるでしょう。テレビなども、圧死などとさらっと振り返らないで、その都度警察は隠している、と告げるべきではないか。

樺さんはまじめな普通の学生だったようで、そもそも、このように祀り上げるのには大きな違和感を禁じ得ませんが。

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