サントリーホール 庄司紗矢香&メナヘム・プレスラー デュオ・リサイタル

#音楽レビュー

行って参りました。

当日は超強風。当日券はもうほとんどなくて、危うく買えなくなる危険もあったと思います。二人でこの大きな器を一杯にするというのはすごいことです。

と思いきや、舞台裏の席は全く売られておらず。音質的に座らせられないということなのでしょうか。

庄司さんは桜色のドレスに身を包み90歳のプレスラー氏と歩調を合わせてゆっくり登場。

プレスラーさんについては下調べして行こうかとも思ったのですが、あまり時間もなく断念。新鮮でかえって良かった気もします。

目を観ても邪念が感じられないというか、良い感じの人だなというのはわかります。

庄司さんが熱望して誕生したデュオで、たぶん古の巨匠から吸収したいことがあるんだろうと思いました。当座の音楽のみならず、庄司さんの向学心も含まれているのでしょう。

最初は「モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ 変ロ長調 K.454」。

プレスラーはシンプルで表情豊かな感じでしょうか。しかし、モーツァルトを表現をするには内側に独特の高揚感を持つことが必要で、それが満ちたり引くようにしながら流れの変化を付けて行くのですが、プレスラーからはあまりそのようなものは感じられませんでした。お歳だからしょうがない部分は多々あります。

モーツァルトのヴァイオリン・ソナタは内田光子盤が私は印象深いのですが、あのような渾身の深みは感じませんでしたね。

ただ庄司さんには適度にそのようなものがありました。

息も必ずしも合わせきれていないところも。ここら辺も年齢でしょう。テンポは基本的に遅めて、モーツァルトのリズムの愉悦はなかったように思います。

ただそこは庄司さんで、素直に聴けてすっきりしていて深みのある演奏ではあったと思います。二人の間に合わせる楽しさのようなものも感じられて、全体的に楽しい演奏だったと思います。

私が座った席は中年の男性二人に挟まれていたのですが、特に右の人は、始まって3分経たずに舟を漕ぎはじめたのでびっくり。普段疲れているとしたとしても、いくらなんでも早いでしょう。左の人も間もなく、こっくりこっくりと。

それは能動的な聴き方ができていないからだと思うんですよね。ヴァイオリンの弦の振動に心身を調律してもらいたいと思います。

「題名のない音楽会」とかでも、いろいろな企画があって面白くて、どんどんやるべきだと思うのですが、鑑賞者が自分から入っていかなくても済む刺激を与え続けてしまう、という欠点はあると思うんですよね。

そのことがかえって受け身の鑑賞法を助長して、再現芸術の真の楽しさに近づけない、ということはとても多いと思います。間口としては良いのですが、ここの移行は大きな課題でしょう。

むしろ最初から、能動的な聴き方で入っていくことが重要なのかもしれません。

もう一つは、世の中で巨匠といわれている人をそのまま巨匠扱いしてしまうことですね。確かに世の中の評価が高い人は何かしら聴きどころのある人が多いですが、皆が本物かというと、全くそうとは言えない。

そういう所を自分の耳で確かめていく、ということが、能動的な聴き方に入っていくうえでとても重要だと思うんですよね。いまのかっちりと、世評の高い人を巨匠扱いするやりかたは、そのような機会を奪ってしまっていると思うのです。

これは当然自分で考える、という重要なことともつながってきます。批判と両論併記するようなやり方が面白いと思います。

一方で超一流の演奏家は、表面的には何事もないようでも、自分から深くその世界にアプローチをしていくほど、ニュアンス・構成など、圧倒的に豊かな情報量を得ることができます。

そのような音楽体験をしたいときに、私が一番おすすめする演奏家は庄司紗矢香さんです。

2曲目は「シューベルト:ヴァイオリンとピアノのための二重奏曲 イ長調 op.162 D.574」。

プレスラーのピアノは、プログラムの紹介文の中の批評で、ケンプ以来、と賞賛されていましたが、バックハウス的な骨太の構成で聴かせるというよりは、ケンプ的な情緒表現が優れたタイプ。

職種が違いますが、ワルターの晩年を思い起こさせる感じで、ある程度の範囲で品の良い変化があり、ぽわっとした電球色の照明がさんさんと照っているような印象があります。

大河が流れるような滔々とした落ち着きがありますが、高低差やメリハリはそこそこといった感じ。

庄司さんは速いパッセージでも余裕の楽しさ。歌心に溢れています。サロン的な雰囲気があり、前回のシューベルトより、こちらの方が曲本来の味わいに近いのかもしれません。

透徹した緊張感で極まった演奏を披露するのではなく、寛いだ演奏で心を揺さぶる感じで、庄司さんの今までの演奏会の中でもかなり特殊な方向性だったと思います。

才気煥発な若い奏者同士のぶつかり合う緊張感を避けて、違う音楽を作ってみた、というのがプレスラーと組んだ意図として一つあるのかもしれません。

物凄く歓声・拍手の多いコンサートで休憩前のカーテンコールで2度も舞台に呼び戻されていました。90歳のプレスラーにはやや大変そうで、庄司さんが支える場面も。

一方で前回と比べて演奏中にやたら咳などが多く、舞台の寛いだ楽しさが客席にも影響を与えていたのだと思います。

休憩後の3曲目「シューベルト:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番 ニ長調 op. 137-1, D. 384」はプレスラーの得意曲ということで、シューマンから変更になったのだそう。

庄司さんは苦しく切なげなげな表情をされるかと思えば、ふっと笑ったりで表情豊か。

それがそのまま音楽の彩の豊かさになっていて、聴いていて気が付くと、胸が揺さぶられじんじんと響く感覚がしました。

安定したピアノを背景に庄司さんが自在に歌った演奏です。

「ブラームス:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番 ト長調 op.78「雨の歌」」は今までの曲の中で一番情感が濃い曲で、今日の演奏に合わせてプログラムの配列が良く練られているなと思いました。

私はずっと前から庄司さんは非常にブラームスに向いているプレイヤーだと思っていたんですけど、その音色はまさにぴったり。哀切の響きに、木組みを胸にぱこーんと嵌められてぐるぐるかき回されているような感覚がしました。

ブラームスの演奏の肝は音が潰れていること、というのが私の持論です。湧き上がる情熱を知性で制御しようとすると、そこに衝突が生まれ、音が必然的に潰れるのです。

庄司さんはどちらも兼ねますからね。

ワルターですとかは、普通に暖かな感じで、ふんわりやってしまっているので、本来のブラームスらしさがまるで出ていません。

チョン・キョンファは、一番向いていない演奏家で、ラトルとのライヴにブラームスのコンチェルトを選んでしまったのは失敗だったと思います。あれが結構批判も多くて、以降第一線中の一線からは退いた感がありますよね。どうも調べると故障をされていたということではありますが。

しかし潰れているだけではなく、本質ときっちりコミットしながらも豊かさのある演奏。

良く聴かれて、尊敬されているというヌヴーの演奏にも似ています。私は楽しみでブラームスを聴く時は迷わずにヌヴーのCDを選びます。

ブラームス特有の重苦しい雰囲気(これが楽しい)が会場を覆い尽くしながらも、庄司さんが本来的に持つ明るさがあり、他の演奏から聴かれる瞑想性も祈りのように切々と響きます。

仏像鑑賞の楽しみにも似たようなところがあります。

リラックスされて演奏しているので音色もふっくら。非常に甘美で薫り高いブラームスで、ここまでブラームスが甘美なものだったとは、この演奏を聴くまで感じたことがありませんでした。甘露のような甘さです。

アンコールはなんと4曲!

一つ目は「ドビュッシー:亜麻色の髪の乙女(デュオ)」で、ポピュラーものの括りで良いでしょう。この前のバッハ、ペトルーシュカ、といった路線とは違う演奏会であったことがここでもわかります。

しかしそれがまた驚異の深味で、弦の振動一つ一つまでコントロールされたかのような、メゾピアノで一貫した旋律が静謐極まるもの。

太古の昔より響くような雰囲気で、その音楽の始点には地球すらなかったのではないかと感じさせます。

このような曲だったとは、誰も知らないでしょう。

2曲目の「ショパン:ノクターン第20番嬰」ハ短調(ピアノ)」はプレスラーの独奏。 指周りが良く、落ち着いていて情緒的な表現力が生きた演奏です。

3曲目の「ブラームス:愛のワルツ op39-15(デュオ)」 は語り合い、語りかけるような楽しさ。

4曲目のプレスラーの独奏の「ショパン:マズルカop17-4(ピアノ)」は、情熱的な表現の幅の広さも披露。

庄司さんも横に座ってブラームスのごとく聴き入り、最後は拍手。

庄司さんがピアノの椅子に座ってプレスラーに突っ込まれたり、プレスラーがもう一曲やるかのように座るそぶりを見せて立つような、笑いを誘うおちゃめなやりとりも披露。

非常にくだけた面白さがあって、このノリでサイン会があっても良かったかも、と思いました。

終演後の拍手はすごく、滅多にないくらいなのではないでしょうか。

庄司さんの演奏会を聴き終わると、充実感と共に、深遠な世界にワープしたそれ相応の疲労もあるものですが、今回はそういうものは全くなく、何曲アンコールを聴いても聴き足りない感じがしました。

プログラムに引用された批評ではスタミナが賞賛されていましたが、表現を極めんばかりに弾いて、ミスなく弾き切る技術もものすごいものです。

格調高くも愉しい、楽しさに尽きる演奏会でした。

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