「(女が生きる 男が生きる:上)「隠れた意識」に向き合いたい」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11231483.html)はstapで小保方さんの周辺に興味が集まった国民を批判するが、笹井氏が演出を主導したのではないかという話は無し。自分たちは批判するところを批判しないで、かぶるべき泥をかぶらず、国民を批判するようなことを書くのがサンデーモーニング的。
これは欧米在住の人など、いろいろな人が欧米を基準にそれと比べて~と個人への興味に関心が向く日本社会を批判していましたが、本当によくないことなのかとも思います。
海外でも知的な抑制が効いて業績にしか興味が無いというよりは、いろいろな出自の人たちがぶつかり合う欧米で、多くの人が「他者」に興味が無い、ということがあるのではないでしょうか。
それと比べて日本には業績を上げた人を内輪に入れてみるような感覚があるのだと思います。
「あるいは豊かな人間性と類まれなユーモア感覚はチャーチルの魅力の一つだが、この点は特に日本での評価が高いようだ」(「イギリス名宰相物語」(講談社現代新書 )小林 章夫 (著)197ページ)という記述もみかけましたが、今回に限らず、人の国籍に関わらず、偉人の人間性に特に興味を持つのは日本人の特質のようです。
後、言っている人をみたことが無いんですけど、業績を上げた人の人生に興味を持つことはパフォーマンスに対する分析になります。
無意識ながらも子育ての参考などになるかな、などとみていた人も多いでしょう。
また、これから社会構造をどのように持って行ったらよいかという指針にもなりえます。そういう参考の仕方は悪いことだとは思わず、むしろ長所だといえるのではないか。
個人の人柄に興味が向くことはあながちマイナスとは言えないのです。
もちろん悪い意味で週刊誌的な野次馬根性もあるのでしょうけど、あながち根底から批判されるべき傾向であるとも思いません。
わかりやすいアイコンに誘導されて本質を見失うようなことにならないように、日本的な人に対する興味を洗練させてゆく、という方向性が魅力的にように思います。
コラムでは武田徹氏が、山中教授の「マラソンが趣味」という報道を例に疑問視するような文章を寄せていますが、この報道を契機に、やっぱり運動とデスクワークのバランスは必要なんだな、と思って生活を見直した人も多かったでしょう。
ラグビーに精を出した学生時代から、中途で研究者の道に入られたわけですが、そういう風に学生生活を良い意味で謳歌して途中から転身出来ることが重要なんだ、という認識も、社会にとってプラスだったといえるでしょう。
「(集団的自衛権を問う)言論封じられる不安 山本雄二郎さん 」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11231525.html)では「マスコミも問題だ。放送局の会長が安倍首相とゴルフをしたり、首相も娯楽番組に出たりしている。権力の監視役である報道機関のトップが政治権力となれ合うなど、民主主義の国としてあり得ない。」と指摘。このような重要なこともまるで報道されません。
これは紙面ですが、新聞について書いておらず、首相動静に毛が生えたようなものであって、バランスをとったとはまるでいえません。
東電幹部との中国旅行も知らなかったり忘れかけている国民がほとんどでしょう。
佐村河内事件では広島市民を始め多くの人を騙して、本来なら糾弾され、憎まれるべき彼が大人気になりました。
佐村河内に扮装する人も多かったですけど、騙される方が悪いという倫理観が欠如した世界では、彼は勝者の象徴で大スターなのだと思います。人気はそれと自己同一化したいという願望だったのだと思います。
そういう騙して逃げ切るのが一番良い、という考えがこういったことを始め、重要なことを報道しない報道全般に濃厚に表れているといえます。
9日のゴールデンラジオ!では「汚染水対策の切り札 凍土壁に規制委が強い疑問」(http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000030227.html)
や「福島第1原発事故:裁判外解決手続き 賠償一律半額」(http://mainichi.jp/select/news/20140709k0000e040165000c.html)について。
大竹さんは「金目でしょ」の話を出していましたけど、そういっておきながら金目も全くないのが拝金主義らしいです。
大竹さんは「市民の側に立て!」と怒りを ぶちまけていましたけど、まさにその通りです。
また、これは東電の破綻処理をしないつけであり、人命軽視のスキームであるといえます。
同日のとべさるではフィフィさんが子宮頸がんワクチンの利権構造を指摘。こういうのはメディアがやらないのでそうなのだろうと思っていても具体的な構造がわからないんですよね。
クローズアップ現代の「アジア労働者争奪戦」では「労働者不足を補うため」とさらっと放送しましたが、頭に「使い捨てにできる」とつけなければなりません。このようなところでずれた報道を繰り返しているので、いつまでたっても現状が改まりません。
内容は日本に外国人労働者が来ないという話。
使い捨てにする日本に対して、韓国では10年前に受け入れの抜本的な改革を行い、出身地の言葉で明細を書くなどコミュニケーションを重視し、転職ができるなど、使い捨てにはしないという体制がしっかりしているとのこと。一カ月に10万円仕送りができるという労働者の声を紹介。
この差はやっぱり日本の福沢諭吉的な感覚に由来しているでしょう。
しかし韓国は国内の人でも貧乏な人はかなり大変そうなところに住んでいますが、それでも海外の労働者の待遇に気を使っているというのはどういうことなんでしょうね。あくまで国際競争を基軸に据えているということでしょうか。
一時の拝金主義的な考えに加えて、人権への疎さも大きいでしょう。それは政策立案者・国民の根本的な人への愛情の薄さが反映しているように思います。
日本では人身売買大国である、というのも指摘されるまで全くの野放しでしたが、どこまでも人権に疎い国といえるでしょう。しかしそれは実は日本人の本来の国民性ではない、というのは私の今までの文章を読んできてくださった方なら納得していただけると思います。
発展性・創造性のない産業で、人材使い捨てで稼ぐモデルは、すでに通用せず世界から孤立を招き嘲笑を受けます。
主に年寄りが支持する自民党は、一時だけそのように稼ごうとしていますが、一日も早い段階で人材を大切にして創造力で稼ぐ社会に転換しなければなりません。
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