東京国立博物館 特別展「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」前期

#その他芸術、アート

行って参りました。

白菜は来たとはいえものすごい並びようだったみたいで、実質来てないようなものですね。いづれ台湾に行きましょう。

故宮については戦中戦後とその文物の移動がどのように行われたのかとても興味があったんですけど、それは本展覧会では触れられず、NHKの特番「シリーズ 故宮第1回 流転の至宝」でかなり詳しくやっていましたね。

これは政治のうねりから個人の心情まで、モノに歴史を語らせる叙述の長所が出た良作。

ただ、破損などには具体的に触れられませんでしたけど、大丈夫だったんですかね?

台湾には運び出せなかったものも多かったのですね。
すべて行ってしまったと思っていたので「東京国立博物館 日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年 特別展「北京故宮博物院200選」」に皇帝のコレクションや清明上河図のような超重要品が混じっているのが不思議だったんですが、これで氷解しました。

溥儀が売り払ってかなりコレクションが流出してしまったということもやっていましたけど、これでなんで東博に皇帝の印が押された絵画が飾られているのかも見当が付きました。

「第2回 皇帝の宝 美の魔力」では文物で世界制覇を示す乾隆帝の思惑などを紹介。

中国の焼き物はハイテクの塊で極めて貴重あって、それを朝貢国に与えるために精根を傾けて作っていたとのこと。
一方で異民族で地盤が弱い清朝はその世界各国からの朝貢によって威信を示したとのこと。

日本では立場が下である鍋島藩が鍋島焼を幕府に献上していましたが、この朝貢貿易を知っていてあえて立場をひっくり返すことで意地を示したのかもしれません?

鍋島焼の窯はその厳格さなど中国の官窯とそっくりで、模したのは明らかなのでしょうね。

番組では「象牙多層球」について、ドイツの技術を吸収して世界の中心であることを示すべく華麗に高めた、という内容でしたが、「これだけは知っておきたい故宮の秘宝」(古屋 奎二 (著))にはすでに宋代にあったとの記述が。

ぐぐると同じ疑問を書かれている方がいますね。

NHKは政治的に歪むのはともかくとして(まったくともかくではありませんが)ドキュメンタリーは堅牢に作ってほしいもの。
それとも総体としてのNHKの質はどこにでも表れるということでしょうか。誰も責任を取らなかったゴーストライター事件もありましたしね。

中国の歴代皇帝のコレクションが集まった本展覧会。

最初の出し物は北宋の汝窯の焼き物。素晴らしいに違いないのですが、売店に張り出されていた中島誠之助さんの文章の、文明の開始以来使われて来た器の到達点。世界に60点しかなく、日本には2点ある。といった解説を読むと鑑賞にも気合が入ります。本当に中島誠之助さんの焼き物の解説は、普通の学者の人たちの解説とは全く違います。市井における焼き物の鑑賞の歴史がそのまま入り込んでいるんですね。

その「青磁楕円盤 汝窯 1口 北宋時代・11~12世紀」は火気が無く趣深い潤いがあるこの品こそ中国の焼き物の真髄だという乾隆帝の言葉が刻まれているとのこと。

霊気漂う雰囲気で、その色はズバリのミント色といえるでしょう。ほかの焼き物にはない清涼感で、確かに美しいのですが、同時に珍品の趣も感じました。

「これだけは知っておきたい故宮の秘宝」(古屋 奎二 (著))の汝窯の項によるとこの「雨後天晴」といわれる青空の色は、天との調和を願う精神の具現であるとのこと。

天の思想が焼き物に展開されているわけで、なんでも思想を中心に置く中国らしさが詰まった文化財が汝窯の青磁であるといえるでしょう。(古い中国美術には玉をはじめ似たような意味のものが多いですが。)

天は日本でもいわゆる天道思想でなじみ深く、東洋文化全般にみられるものですが、最近はたとえばヨガがとても普及しています。ヨガの語源には諸説ありますが、天と自分を「結ぶ」(ヨガ)ものがヨガであるという解説が多いでしょう。そうであれば、青磁はヨガの芸術とも言えます。ヨガになじみが深い方がいらっしゃれば、そのような視点も興味深いと思います。

「楷書牡丹詩帖頁 徽宗 1枚 北宋時代・12世紀」は皇帝自らが編み出した痩金体という書体で書かれた文章。今でもたまに見かけますよね。皇帝としても線が細かったのでしょうか。

「渓山秋色図軸 徽宗 1幅 北宋時代・11~12世紀」も山水に潤いがあるとても上手い絵で、歴代で最も有名な芸術家の皇帝の力を遺憾なく発揮しています。

「青磁輪花鉢 官窯 1口 南宋時代・12~13世紀」も紫口鉄足という南宋の青磁の特徴を備えた作品で、ガラスで作ったかのような突き抜けた透明感が絶美。日本伝来の「馬蝗絆」には近い雰囲気があります。

「青磁弦文瓶 1口 清時代・18世紀」はそれを再現しようとコバルトまで使って頑張ったのだそうですが、横のお客さんに「違うよね」と駄目出しされていました。薄絹のような透明感が絶対的に足りません。

「明皇幸蜀図軸 1幅 唐時代・10世紀」はやまと絵の源流である唐の彩色画の技法を使って描かれた絵。

カタログによると、中国の人はとうの昔の断絶した技法が伝統として今日まで伝えられていることにとても驚くのだそう。

その次に入ってきた狩野派系のいわゆる漢画も、今ではほとんどの人は観て、日本画だね、というでしょう。こうやって日本画の領域は広がってゆくに違いありません?

「5 元代文人の書画―理想の文人」は中国で一番重要な日本には全く伝わっていないタイプの品の世界最高のコレクション。

「行書赤壁二賦冊 趙孟?茵 1帖 元時代・大徳5年(1301)」はお手本的にしっかりしきっています。

「雲横秀嶺図軸 高克恭 1幅 元時代・14世紀」は当時、色目人といわれた人の作品で、今で言えばウイグルの人ですね。外国の人らしく中国のいろいろな地方の技法を取り込んでいるのが特徴とのこと。

当時のイスラム商人はモンゴルの経済官僚をやっていたことが知られています。いろいろな人が各層で共存していたのが昔の中国の特徴ですよね。

「具区林屋図軸 王蒙 1幅 元時代・14世紀」は「中国絵画を代表する傑作」と解説されていますが、ごちゃごちゃしていて意味不明。しかししっかり凝視してみると、細かい書き込みの中に込められたエネルギーと風雅が初めてわかります。

「白岳図軸 冷謙 1幅 元時代・至正3年(1343)」にも同じような特徴を感じます。

私的なやり取りの中で流通したといわれる文人画は、流通同様絵もミニマムなのでしょう。

そういった所が日本でも普及して、床の間文化にも合致したのかもしれません。

「桃花幽鳥図軸 張中 1幅 元時代・14世紀」は賛がたくさん書かれており、こうやって文人画は完成していくとのこと。人柄も鑑賞の対象なのだそうです。文人画がそもそもそれを目指していますからね。

「元人集錦巻 1幅 元時代・13~14世紀」の中では管道昇の「煙雨竹叢図」が得意の竹をさめざめと繊細なタッチで描いていて心に残りました。

「白磁雲龍文高足杯 景徳鎮窯 1口 明時代・永楽年間(1403~1424)」は実に真っ白。
ただ、あんまり白すぎるとプラスチックに接近してしまうようなところもあって、難しいものです。

今の中華料理のお皿は、こういった明から清にかけて完成したような色調が多いですよね。

次の詩集のコレクションも充実していましたが「刺?墸咸池浴日図軸 1幅 南宋時代・12~13世紀」の波の高低や光沢が刺繍の絵画に勝る点を一番引き出していたといえるでしょう。

ここから先は清朝皇帝の華美を尽くした工芸品が並んでいたのですが、どれか一つを特記するという気にならず、特に書きませんが、皆物凄いです。

ただ、華やかすぎて本来の中国の正統からずれているものが多いのは感じます。

「これだけは知っておきたい故宮の秘宝」(古屋 奎二 (著))によると嘉靖帝は「あえて正統的な色彩や文様を否定」したらしく、さらに「陶磁器は神秘なるものの追及から、華美な装飾性の追及へと変化し(中略)正統性を踏み外したような文物が多くなっていく」(45ページ)とのこと。

そもそもは中国の陶芸は「古玉の色や、礼器としての青銅器の形の内に潜む”神秘性”を追求するところにあった。」らしく、その立脚点となる敬虔な心情は失われてしまったということでしょう。

やはりそういう引き込むような神秘性が無いと、その内側に入っていって感動を得るような、そういう観賞はしがたい。なので言葉が浮かんでこないのでしょうね。

また、こういった美意識が反転した、明末から清末に至る焼き物の要素が日本に入ってきていないことは特筆できるでしょう。

小中華思想的な論理になってしまって注意しなければならないですが、こういったものが明治になるまでに入ってこずに、日本には中国の正統的な美意識が残された面はあるといえます。

満漢全席の中華料理屋さんも、あえて明より以前の様式で統一するところが増えてくれば、その精神性への評価も高まるのかもしれません。華やかなのも楽しいですけどね。

「画琺瑯蟠龍瓶」など華やかな琺瑯の名品が連続しますが、同上書にかかれている琺瑯技術の進化の成果です。これは本当に日本にはないもので、青磁以上に中国独自ともいえるでしょう。

書のコレクションでは「草書書譜巻 孫過庭 1巻 唐時代・垂拱3年(687)」が気韻漲る中に構成感覚が優れた故宮の有名な名作。しかし、今カタログを観ると後期は「行書黄州寒食詩巻 蘇軾 1巻 北宋時代・11~12世紀」なんですね。これもみたいですね~。

書のコレクションは異様に充実していて、書道部らしい女学生の団体もいました。

まさに中国文明の精髄といえる展覧会でした。いくらかいざこざもありましたが、それだけ政治も巻き込んだ巨大規模のイベントだったということでしょう。関係者及び制作者の方々には感謝の念が堪えません。

故宮の規模は絶大であって、まだまだ良作がありますが、それもいづれの楽しみです。ありがとうございました。

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