太田記念美術館 富士山の浮世絵-太田記念美術館収蔵品展 その2

美術

本展の軸になるのは北斎と広重で、先行する北斎と、それを越えようと挑み続ける広重の意欲が見所。

シリーズの中でも非常に優れている「葛飾北斎 富嶽三十六景 東都浅草本願寺」は凧で風を表現し、遠くに小さな富士が。

富士山図というのは、必ずしも富士が主役ではなく「富士がある風俗画」の趣が強いものが多いです。

富士山が端にちょこんと三角に描かれているだけで、画面に強烈な上昇圧力と、奥行き、雄大なスケールと安定感が生まれます。

よく中国の陰陽道では火は三角で表されるというのですが、火の要素が組み合わさっているのが、他の山にはない魅力になっていると思います。観る者に対してアグレッシヴな山で、だからこその文化遺産でもあると思います。

そういう五行の視点でみると、広い裾野の木に湖面の水。山頂の雪は銀嶺とも表現されますが、白色の属性の金であるとも解釈できる。富士山本体は土でできています。すべてしっかり入っているのが魅力なのかもしれません。

こういう視点からみると三保の松原の意義も観えてくるのかもしれません。

「歌川広重 富士三十六景 東都両ごく」は柳が、余白は特にないのに余白の美といわれるような情趣をかもしています。

「二代歌川広重 京都名所 かすみかせき」はかすみがかった広い道の向こうに富士が見える作品で、地名の由来を知らせてくれます。

「歌山広重 東海道五拾三次之内 原 朝之富士」は、男の荷物持ちを連れた女性二人の旅。

「歌川広重 東海道 十四 五十三次 原」は巨大な富士を中央に描いているだけで、シンプル過ぎて余韻さえ漂う作品。

「歌川広重 富士三十六景 駿遠大井川」では豪華な着物を着た女性などが輿に担がれて渡っている姿が。美人画も兼ねているという感じでしょうか。

「歌川芳艶 東海道名所之内 清見寺」は将軍家茂の上洛を題材にしたもので、「御上洛物」と呼ばれた歌川派を総動員した巨大シリーズの中の一枚。真ん中で富士を仰いでいる男が将軍であろうとのこと。

「葛飾北斎 東海道五十三次 金谷」はこれまた広重に先行するシリーズで、広重が風景メインなのに対して、北斎は旅人をメインに描いているとの解説。

「葛飾北斎 富嶽三十六景 御厩川岸より両国橋夕陽見」は船頭が格好良い、素晴らしい作品。

「渓斎英泉 木曾街道大宮宿 富士遠景」は木の曲線が特徴的な作品。

「渓斎英泉 江戸八景 芝浦の帰帆」は同様の形の帆の曲線が印象的。

役者絵の曲線。有名な滝の絵の曲線。堅いものがしなる粋な雰囲気、が渓斎の特徴のように思います。

「歌川広重 不二三十六景 東都青山」はリアルな美しさが広重の真骨頂。現実と宥和的なファンタジー、とも表現できます。

「歌川広重 不二三十六景 相模大出来迎谷」はちょうど逆さ型の富士のような谷から富士を望む趣向。

「歌川広重 富士三十六景 駿河薩夕之海上」は広重の死の年に再び出版された富士山のシリーズ。北斎の「神奈川沖浪裏」に相当する構図で、挑戦状でありレクイエムであろうとのこと。波の迫力では北斎が優っているが、実在感では広重が優っているという、解説の評。

良い作品ですけど、実在ギリギリまで力強く描かれた波に、広重画としては少し無理をしているような気もしなくもありません?

「歌川国貞 東海道五十三次之内 吉原図」は役者への背景にそのまま広重の絵を写したような背景を描き足したもので、のちの二人の連作を予感させます。この二人のコンビは、寂びた広重と俗な力強さがある国貞が按配良く補い合う高相性。

「歌川国貞(三代歌川豊国)一歌川広景 東都富士三十六景 永代橋」はその広重が死んだ後に弟子が継いだもの。広重に比べると絵に主張が乏しいか。

以降は小林清親や尾形月耕など明治期の絵師たちの作品ですが、力強さが全くなく、ものがなしいばかり。それがい良いという人もいますが、江戸浮世絵のひしめくような力強さと比べると、芸術的に退化しているといわざるを得ないと思います。

時代が変わったということでしょう。

富士が与える芸術的なインスピレーションについて、実感をもっていろいろな角度から体感できました。タイムリーな企画が、専門美術館ならではの深さでまとめられていたと思います。ありがとうございました。

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