鉞子(えつこ) 世界を魅了した「武士の娘」の生涯(内田 義雄 (著)) その2

「武士の娘」をアインシュタインやタゴールまで褒めていたというのはやっぱりインパクトがありますし、「風と共に去りぬ」の元ネタになったのではないかという指摘には、なるほど、と腑に落ちるものを感じます。

経緯や、精神的な葛藤がそのものズバリと言えるくらいですよね。

この本と対比される書物である「武士道」と、どちらもキリスト教の影響が指摘されており、強力なアメリカ人女性のサポート(「武士道」は新渡戸の妻のメアリー・エルキントンの英語力が強力に寄与しているといわれています。)で出来上がったことは、偶然の一致とは言えおもしろいところ。

これ抜きの「武士の娘」はおぼろげな詩のようなものであるなという印象。この本があって、初めて骨格を伴って「武士の娘」を理解することができます。

「武士の娘」について言えば、風俗史的にはどうなのかな、と思う所も。

牛肉を食べる時の仏壇に目張りするエピソードはビックリですけど、牛肉は江戸時代も結構食べている人がいて大人気で、最近では忠臣蔵の大石内蔵助も大好物だった、ということが言われています。

武士の家庭でもいろいろあったのは確かなんでしょうね。

「武士の娘」では微動だ許されない教育風景も印象的ですが(33ページ)、「江戸の子育て」((文春新書) 中江 和恵 (著))の教育風景とは全く違います。

たとえば適塾などがそうであるように、日本の教育は師弟を截然としないくらいの闊達な議論の場であったことは強調したいです。

また、厳しいようですけど、じつはじっとしていければならない時間は義務教育に加えお稽古事などに忙殺されている現代の子供の方が多いと思うんです。そういう意味では遊びの時間とバランスが取れていたのだとは思います。

「武士の娘」328ページの、「日本式」の教育で子供の目の光が失われてしまった、というのも、こういうバランスが失われたから、という面もあるのかもしれません。

この時期の長岡の元家老の家でこういうことがあった、ということぐらいなのだとおもいます。

現に「武士の娘」を実際の江戸時代の状況だと考えることの危険は「江戸の女子力―大奥猛女列伝」((新潮文庫) 氏家 幹人 (著))の15ページで離縁について取り上げて指摘されています。

あくまで自伝的「小説」であって、著者は歴史家ではないことに留意するべきです。これは山川菊栄の「武家の女性」も同じです。

たとえば江戸時代の男は妾を囲っていたと非難されますが、これは家を残す義務がある上級武士だけだったのだそうです。

上級武士の一部の層を取り出して、日本全体のことだったかのように誇張し、因習であると斬り捨てる、というのは良く行われていたことだったのでしょう。

「杉本鉞子」さんのウィキペディアの「また、"キリスト教を知らないアジアの未開の国の可哀想な(と西洋人が考える)娘がキリスト教と西洋文化によって覚醒していく"というアメリカ人好みのストーリーが受け」たという記述もそういった文脈で理解できます。

「武士の娘」にはたしかに、上級武士(の一部)以外を日本として顧慮しないようなところが確かに存在すると思います。

また、この本を検索するといわゆる「保守」系の論客の名前がたくさん出てきて、日本の伝統の復活を訴えていますが、すでに書いたように、事実と異なる部分が多く、全く日本において普遍化できるものではありません。

また、こういったものを普遍的なものであると受け止めて「保守」系の意見に反対する「革新」も認識の上でコインの表裏と言えます。

また、「江戸の女子力―大奥猛女列伝」((新潮文庫) 氏家 幹人 (著))には

「福沢諭吉は「女大学評論」で以上のように述べています。維新後すでに30年以上も経ったというのに、日本の女性は人前でろくに話もできない。西洋の毅然とした婦人たちを見知っていただけに、福沢には、明治の日本女性の現状が歯がゆくてならなかったようです。
 では日本女性は誰をお手本にしたらいいのか。福沢が挙げたのは、以外にも西欧の模範的婦人ではなくよりによって旧時代の日本女性、徳川の時代に江戸城(中略)で奉公していた奥女中(御殿女中)でした。」(21ページ)

とありますが、別に江戸時代の普通の女性も権利の主張にかけては非常に活発で、このように特殊な例を持ち出すまでもありません。

時代の進歩についても福沢諭吉は、将棋のように過去の名人が定跡の進歩で現代の名人に全くかなわない分野もある、と江戸時代でも進歩していたものはある、いうことで江戸期の中の例外として取り上げていましたが、これも現代の近世史化に言わせれば、江戸時代を停滞と捉える史観こそが間違っていると指摘するでしょう。

同書の19ページにもそもそも福沢の江戸時代に関する認識が間違っていることが書かれていますが、福沢の江戸認識はとにかく歪んでいます。

そしてここの記述からも、すでに明治憲法で歪み始めていた女性の権利・在り方がその歪みと誤解を助長したのが見て取れるのです。

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