哲子の部屋「どうしたら“恋”できるの?」

では、恋が起こらないのは情報が多すぎるからだ、と指摘。その対処として情報をあえて狭めることで(「これ性」ををみつけられるようになり、)恋愛ができるようになる、と千葉雅也准教授。

しかし、「カタログ的に観ている、浅いこれ性しか見えなくなっている」というような話が中で出てきましたけど、その人の深い「これ性」をみつける力をつけることが必要で、情報を絞ることは本質的な解決にはなっていないのではないか。結局深い「これ性」がみえない人はどこまで行っても見えず、それに基づいた本当の恋愛にならないからです。

また、自らがあえて狭める情報は情報が取得できない状況と同じなのかという問題もあるでしょう。

「職場結婚」という言葉が出た時に千葉氏にやや動揺の色が。
単に狭めればいいということで終わってしまいますと、職場結婚が理想の恋愛になりかねませんからね。

ただ、物理的に、情報が狭いと(その人の「これ性」と深く向き合う機会が増え)確かに恋が起こりやすいのは事実で「嵐が丘」は登場範囲が狭くて限定されている中で非常に濃密な恋愛劇が繰り広げられます。そういう意味では理に適った物語なんだな、と感じました。

また恋が起こらないのは、子育て保護など恋愛を補助する仕組みがない、新自由主義の社会の中で、恋愛に割けるリソースが極端に低下しているから、というのがどう考えても一番の理由だと考えますが、そこに言及は無し。

オイコノミアもそうですが現在を扱っている学問なのに社会問題を避ける姿勢が顕著で、哲学も同様にそのような姿勢では飾り物になってしまうこともあるでしょう。

番組は「すべては出来事だ」というドゥルーズの言葉から出発。
仏教でよく言う「すべては過ぎ去り同じものは無い」ということですよね。

アマゾンの書評にもあるし、他にもそういう意見があったと思うんですが、井筒俊彦さんの「イデア論」の理解は古いというんですけど、(上のような仏教の思想が含まれた)東洋の「本質」という言葉と結びつけることによって、イデアを「これ性」として解釈しているんだと思うんですよね。

そして表面的な意味の「これ性」ではなく、上で言う深い「これ性」のことを東洋では本質として言い表していますし、それは儒教の正名論や西のイデアやマーヒーヤといった言葉の中に同じものが見いだされるということが書いてあるのでしょう。

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