トルーマン大統領の孫、原爆を語る

#その他文化活動

8月6日は広島の特集が多く放送されました。

8月に入り戦争特集が始まり、風船爆弾の特集もいくらかありましたが、アメリカに届いたものも多く、ピクニック中に子供が触れて死んでしまったとか、本当にむごたらしいです。

この作戦は牧歌的にすら捉えられたりしますが、その思想の根底にあるのは無差別爆撃です。

日本への無差別爆撃を倫理的に正当化したのは米内光政による重慶への無差別爆撃であって、原爆投下もその延長線上にあります。ルールを守らない相手にルールを守っては戦えないのです。

また原爆が投下されたのは、軍部が責任を回避して、降伏をしなかったからであることは言うまでもありません。

軍国主義への批判無くして真の原爆投下への批判は始まらないのですが、今回も観た限りのテレビの報道で、軍部への批判が聞かれることはありませんでした。

「児玉誉士夫の息子はTBS役員」という話もありましたし、戦前からの軍国的なネットワークの中にテレビが浸かりきっているからではないか。

「トルーマン大統領の孫、原爆を語る」(http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=43073)は佐々木禎子さんの物語を読んで考えが変わったというのが印象的。やっぱり記録や物語には大きな力があるんですね。

ポトシ銀山で働かされていたインディオの運命もいかに苛烈だっただろうかと思うのですが、彼ら自身の記録や物語が残されていないので、気持ちを掬い取りがたいところは残っていると思います。

「謝罪するつもりがないならなぜ日本に来たんだ」といわれたとのことですが、先に断罪されるべきは日本の軍国主義者たちです。

「作家・阿川弘之さん死去、94歳」(http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=43066)というニュースも同時に伝えられましたが、無差別爆撃を指揮したような米内光政をいまだに国内で高く評価している日本人に、降伏もせず責任をかわし続けた軍部を処罰せずその遺産で未だに子孫が大手を振って歩いているような日本に、天皇を退位させることもしなかった日本人に、いまだに戦前的な思想の政治家ばかりを選ぶ日本に、謝罪を迫る資格はありません。

そしてしかる後に、アメリカに謝罪を迫るというのが手順なのです。断罪されるべきはその手順を無視する一部の日本人です。彼らは被爆者に代わって謝罪を要求する権利を持っていません。

そしてメディアはその当然の順番も拝金主義で示さないのです。

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