1月26日の大竹まことさんのラジオのゲストはロバート・キャンベルさん。
洛中洛外図屏風に心奪われたのが日本に対する関心の始まりとのこと。
霞の上から一望できる感じが良いとのこと。蕙斎のような人もいますし、俯瞰的な能力は日本美術の特徴といえるでしょうね。
教師には屏風の意味を知りたければ日本語を学べと言われたとのこと。やっぱり言葉は文化の王ということなんでしょうね。
今の若い人は実地で試行錯誤をするような困難を避けすぎるという問題提起。
それを大竹まことさんは、昔はお湯が熱いというのは触って確かめたが、今は触ってたしかめる前に避けようということになっている、という喩えでわかりやすく解説。私が
で書いたことと同主題ですね。25日の古舘さんや26日の羽鳥さんも似たようなことを言っていましたね。
キャンベルさん曰く「人間ってもっと単純なものじゃないかな」「五感で触ったり嗅いだり」することが重要とのこと。それは古典から得られる智慧でもありますよね。古典の中にあるのは鋭敏な五感です。そこに尊さがあります。
禅語で言えば「冷暖自知」がここら辺のことを言い表していますよね。昔の勘が良い人は上のような科学的なことがわからなくとも同じようなことをこの言葉から悟ったんですね。
日本人は外国とか周りにどう思われているか気にし過ぎとのこと。
これは自信のなさの表れと言うことで、間違えないでしょう。
日本人という括りがそもそも大きすぎるとのこと。
「批判する人は友達かもしれないね、と言うことを忘れないでほしい」とのこと。
キャンベルさんは本当に品が良い人ですよね。実に古拙で、そのお人柄が日本の古典文化のとても良質な所と惹き合っていることを確信をもって感じさせてくれます。
ちなみに上のリンク先
に関連して言えば当ブログでは、司馬遼太郎氏が自らを「視覚の人」と称し、その著作の内容は非文化的であったことを歴史の流れの理解のためにも付け加えておきたいと思います。
実際に氏の小説を思い返しても、聴覚・嗅覚・味覚・触覚といった点で、印象的なシーンは浮かばないですし、登場回数も少なかったと思いますね。
小説全体が視覚的に書かれているといえる。
ソフトバンクの新しいCMの犬をみていると、司馬遼太郎さんを思い起こすんですよね。古典的な「トロイの木馬」ではありますが。
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