古代オリエント博物館 夏の特別展 古代オリエント美術の愉しみ その2

#その他芸術、アート

シン・ゴジラは観ていないのですけど「(月刊安心新聞)映画「シン・ゴジラ」 日本の宿命へのアイロニー 神里達博」(http://www.asahi.com/articles/DA3S12561357.html
によればなんか周りが全然ダメな中、官僚が活躍するそうですけど、そこら辺はやっぱり庵野秀明総監督の思想なのかなと思います。

エヴァは観ていないですけど、碇ゲンドウっていう滅茶苦茶なのがいて、非常に権威的にふるまっているとのこと。

あれは日本の父性的なものを象徴していると思うんすよ。日本で実務的に動いているシステムですね。
それは現実の日本で言えば官僚が担っているシステムに相当すると思うんです。

それに対する信頼感は結局の所は強く感じる。あれだけ理不尽なことをしているのに疑問を持たない。

それに虐げられながらも従わざるを得ないくらい絶対的に依存しているわけです。

それ自身が問題・葛藤をはらみつつも絶対的な存在。そういう碇ゲンドウの描かれ方が今回は官僚の描かれ方に転化したのではないかと思います。

実はここら辺は司馬遼太郎さんの思想の負の部分とリンクするところがあると思うんですけど、それはまた今度アップしたいと思います。

尾崎豊などにも同じような思想傾向があったと思います。そういう官僚に代表されるような日本的システムに背を向けてうだうだいうだけで実は内心非常に肯定・依存している、というのが日本のサブカルの一つの代表的な心性。

これは日本国民全体の考え方をかなり代表していると考えます。

そういう思考停止的な依存感情が色濃く出ている映画なのではないかと予想。しかし、その考え方こそが私は日本の最も根本的な病巣だと考えているのです。

そのシステムを好ましいものとするか、うだうだ言いつつ肯定するかの2択を離れ、日本の根腐れしきりつつある根本を改善する道を選ばねばならないのです。

原発はそもそも経産省が主導で進めてきた国策であり、その財界・産業界とずぶずぶの甘い監査体制が招いたものです。事故後もspeediの隠蔽があり色々な情報隠蔽やごまかしをさんざんやってきています。事故処理の痛恨打である破綻処理をしなかったことも財務省と銀行の癒着に由来しています。
散々日本国民を犠牲にしてきています。

昨日は「原発の廃炉費用 国民負担8兆円超を検討」(http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=47745)という資源エネルギー庁主導の原発事故の負担を国民に転化する政策が報道されました。

それでいて紡がれるこのストーリー。虐待されても虐待されても、いやそれがゆえに親を信じる子供のようです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました