司馬遼太郎氏は狩野直喜の朱子学を批判する言葉などを引いて、教育勅語・戦前的価値観への批判を通じて、その原型になっていると氏が考える儒教を批判しています。
(加えて前に論じた通りその儒教への批判が江戸には儒教は無かったという強引な結論を生み、結果として儒教を柱とした江戸文化を戦後日本から駆逐する結果になりました。一方で江戸時代からのものとして朱子学を批判しているので、ここら辺は矛盾をしているとしか言えません。)
特に「この国のかたち」ではこの批判がものすごく多くしつこいですが、そもそも根本的な事実誤認に基づいた罵倒であることを私たちは知らなければなりません。
しかもWikipediaの「狩野直喜」の項の記述では
後年臨終の床で、細川より「なぜ日本がこのような馬鹿な負け方をしたのでしょう」と問われ、(朱子学が基にある)「水戸学のせいだ」と答えるほどであったという。
とありますが、司馬遼太郎さんはどこでも(例えば「春灯雑記」や「この国のかたち」(文庫版第4巻208ページ)でこの話を宋学(朱子学)として書いていますけど、宋学と水戸学では隔たりがあります。
しかもどちらも本来総合的な思想であって、尊王思想をもって先鋭化させるのは国家神道に合わせた異形化です。
また、狩野直喜は儒学自体は好んだ人であって、儒教否定(たとえば「この国のかたち」文庫版第六巻211ページ以下)の司馬遼太郎さんがそれを明示しない形で発言を儒教批判に使うのはとてもおかしいですし、読者を誤解させます。(私も誤解していた)
こういうのは直截的に言えば嘘ですし、極めて控え目に言って司馬遼太郎さんは自分の欲しい文脈だけを切り取って意味を変えたり、しばしば単語や文脈を変えて引用することが非常に多いです。
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