いたるところの震災特集でも、東北に対して「辛抱強い」という形容詞が多用されますが、戦後の日本では東北に対する「辛抱強い」は差別用語だったと思うんですよ。
つまり辛抱強かったから従順であり戦争に突入した、民主主義的に遅れている、という論理ですね。
もっと言うと日本人自身が欧米に比べて辛抱強い人種であり、だから民主主義的価値観の中で劣っている、と考えられ、その中でも特に東北はそのように劣っているとされてきました。
日本人自身が自分たちをオリエンタリズムを通して見る中で、二重の文化的差別を受けてきたのが東北なのです。
連呼される「辛抱強い」という言葉の裏には尊敬ではなく差別が隠れている、というのが実態だと思うのです。
実際は「辛抱強い」所に自分が不利益を被ってでも理想を実現しよう、という政治的な意見が出てくるのであって、戦前の民権運動を東北がリードした事実はこのようなところに由来すると考えています。
戦前、メディアなどが翼賛体制に組み込まれていったのも辛抱が足りないからであり、暴発して戦争をしてしまったのも辛抱が足りないから。
年がら年中文句を言っているような大阪の政治状況は逆にみじめですよ。利己的に振る舞う分、政治に無関心なのです。
戦後、辛抱を指弾したり、司馬遼太郎さん的大阪に戦争の反省を見出したことは間違っていたといえます。「歩兵第8連隊」の嘘
太田記念美術館 没後150年記念 破天荒の浮世絵師 歌川国芳 後期:〈遊び心と西洋の風〉
後期も行って参りました。なんでも、普段から国芳のまわりには数匹から十数匹の猫がたむろしていたらしく、家には猫の仏壇があり、死んだ際の戒名を書いた位牌が飾られ、猫の過去帳まであったそうな。かえるを捕まえて庭に放して声を聞いていたそうです...
がそれを物語っています。
個々が自分勝手だからといって反戦気分が高まることも無いですし、自利を考えればかえって軍の規律通りに動くでしょう。
「辛抱強い」を本来そのことが持つような美徳として捉えて、真の意味の讃える言葉としてその言葉の響きを聞きたいものです。
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