加藤氏は現在の日本の戦前・戦中について一番有名な泰斗といって良いでしょう。
この人の本は読みたいのですが時間が無くて積読状態・・・・・。
同じく歴史家である夫の本をみたりすると史観や内容が非常に怪しいのと、最近海軍善玉史観を放棄した半藤一利氏とかつて和やかに対談するなど、結構怪しい人と対談しているので大丈夫なのかなと思ったりもするのですが、とりあえず拝聴。
冒頭大竹さんが改憲や脱原発に逆行する動きなど国民が反対しているのに国会議員がやりたがっているずれを数字を挙げて列挙。
「国会議員と国民の常識がズレている」という現象が起きていて、それは戦前にもあった、ということで危惧されているとのこと。
「戦前期に女性参政権は無かった」というあたりまえのはなしですけど、これだけで戦前の戦争の責任が(軍部以上に)国民にあるかのような議論の破綻を示しています。
(ただ、加藤陽子氏は常日ごろ戦争の責任を国民一人一人に問い直すということを強調されていますけど、それはやはり責任を取るべき人間が責任を取ってからというのが私の考え。
満州事変、盧溝橋事件、真珠湾。それぞれの転機の決断は決断した人間に責があり、容易に国民には転嫁し辛いと考えます。)
日本は悪くなかったという人たちがあげる「ABCD包囲網」については「教科書でもABCD包囲陣は書くんですね」と問題視。
戦中の外務省が負けそうだと悟った時に言い訳のプロパガンダとして考えられたのがこの「包囲網」であるとのこと。
子供の頃からある種の「常識」として接してきましたけど、吟味されないで滅茶苦茶な情報が教科書に入り続けているものです。
いまだに阿川弘之氏の著書を夏休みの推薦図書にするような日本の教育ですから、どこもかしこも粉飾ばかりで、本当にどうしようもないと思います。
「何が正しいのかということとおれたちがその時代に刷り込まれたことと」をちゃんと峻別しなければならない、と大竹さん。
ちょっと違う話ですけど、歴史を学んでいて出てくる「かわらないですねぇ~」という言葉には注意しなければなりません。
司馬遼太郎さんの間違えというかウソというかを検証してきた結果、その間違いが支持される根本には過去の日本人に現代の日本人を投影させたいという欲望が強烈にあるからということを強く感じるからです。
そして司馬遼太郎さんもそれを踏まえて結論を作っている跡を濃厚に感じるのです。
それが歴史から正しい教訓を得ることを阻み、現代に大きなゆがみを生じさせていることが非常に多いのです。
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