この展覧会では、会期にあわせて三回のNHKスペシャルやその拡大版であるBSでの特集が放送されて、まずは第二回のNスペの漢字の回を観ました。
解説は白川静さんと真っ向から対立する派である阿辻哲次さんで「衆」の成り立ちなど、郭沫弱説を採っていました。
甲骨文に出てくる「羌」が異民族ではないかという説を立てている中国の学者が出てきましたが、異民族ではないとする説をそもそも聞いたことが無く、白川静さんは一貫して遊牧民の異民族として扱っています。将来、羌が異民族である、という仮説はこの人が立てたということで学会に認知されるのでしょうか。日本人は白川静の遺産を大事にするべきだと思うんですけどね。
この回のBSの拡大版の牧野の戦いを追ったものでも、周の甲骨文字を田んぼであると解していて、温厚な農耕民であったとの解説。周原で発掘作業に従事されている中国社会科学院の牛世山副研究員さんがいっていたので、そこら辺の説なのでしょう。
周は盾の表象であって、剽悍な武を司る氏族であった、という白川説とは真逆でした。
青銅器の技術や戦車の技術が西方から輸入されたもので、歴代王朝の中でも黄河の北のほうに本拠があるのは西方と交易する為だったのだろうという大きな規模の説が紹介されていました。商という自称も西方との交易と関係があるとのこと。
色々つながってきて面白い話が多かったです。
中国は西方由来のものが多いと白川静さんは言っていて、中国の古いことばの中に、古代バビロニアやビルマ・チベットの言葉の影響を指摘されていますけど、それも例証になるとおもいます。(文字講話Ⅳ 176ページ)
古代中国で貝が貨幣代わりだった、という説が専門家の間で疑問視されている、という内容の展示を前にみましたが
そうなると商業の国としての商のあり方が宙ぶらりんになります。西方との交易が活発だったとなるとそういった部分が埋まります。
白川静さんも貝はお金だったという事がありましたが、主に例によって呪的な部分を強調されていて、より貝(子安貝)はそちらの方向に純化した見方をされていくのでしょう。
白川静さんは殷の女性の高い地位についてよく語っていましたが、有名な妲己については一般向けの本では一度も語ったことが無かったと思います。
最近の発掘によるとやはり女性の高い地位が伺えるらしく、妲己の作り話はそれを嫌った周の作り話であった可能性があるとのこと。殷墟から妲己の資料は出てこないのだそうです。
BSの第三集の秦の統一の回はどちらかというと文字資料中心の回で、そこまで新発見はなかったですかね。
それにしても、中井貴一は学者肌の俳優で、番組のナビゲーターの役割をとても立派に果していたと思います。
BSの第一回の夏王朝の謎を追う回は、あまりにも資料が少ないだろうからどんな内容になるのか、と思っていたんですけど、ひとつは日本の先史時代の歴史の叙述のように大きな気候変動などを手がかりににしていました。
なんでも丁度禹(変換できないんですね、禹歩と打っても変換できないので驚きました。暁舜禹と打っても出てこない。暁舜なら出るんですけどね。)の時代に異常気象が起きてエジプト文明とメソポタミア文明が崩壊し、中国でも雨が増えて各地の文明が滅亡したんですが、禹の夏王朝であると比定される二里頭遺跡だけが(治水に成功して)急速に繁栄したとのこと。
なんでも他の中国の地域の勢力と違って、水稲を含む五穀を栽培していたので、どれかが不作でも保険が効いて生き残ったとのこと。保険による安定が人類を進歩させます。
禹はどこにでもいる洪水神だと思っていましたが、その切り抜けた危機は非常に大きな天変地異による物である可能性が高いのが分かります。
「洪水神としては、共工、禹、伏羲と女カの説話が語られている。三つの洪水説話が並存するのは、異例のことといってよい。」(中国の神話 (中公文庫BIBLIO)白川 静 (著) 15ページ)ともありますが、この天変地異を踏まえれば何故そのような異例なことが起こったのか整合性があります。
白川静さんは殷について「稲作を取り入れて大勢力になった」(呪の思想―神と人との間 白川 静 (著), 梅原 猛 (著)37ページ)と仰っていますが、それ以前の夏王朝ですでに稲作はやっていたんですね。殷の稲作はより本格的だったということなのでしょうか。
「屈家嶺文化との接触」(36ページ)によって稲作がもたらされたのではとありますが、もしかしたら夏から引き継いだもので、殷王朝は明らかになればなるほど夏から受け継いだものが多いのかもしれません。
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