サンデーモーニングでは政策がわかりづらいと長い時間を取ってやっていましたけど、メディアが報道しないからわからないのであって、議席数とに相応する時間を日本未来の党に割けば争点は明らかです。
ただメディアがそのように党隠しや争点隠しに走っているからそのようになるのだということはコメンテーターは誰も言わず、やはりメディアの権益には踏み込めません。実際は頭の中ではそう思っている人も多いと思うんですよね。
ただ、原発事故があって原発を輸出をするといっている中で、海外で、日本はなぜ原発を報道しないのか、といわれる、と寺島さんが言っていましたけど、この人は輸出したいということでいうのでしょうけど、他でも良く聞く内容で、事実として踏まえておいていい話ですよね。しかしこの人は、コンクリートから人とかいうけれど~(逆接)、などど相変わらず自民党・経団連的な政策の継続を訴えていて、どす黒いです。いったい日本の将来をどこへもって行くつもりなのか。
「風を読む」ではトンネル崩落事故を取り上げていましたけど、通行料を普通にメンテナンスに使っていればよかったんですよね。
12月13日には632箇所のボルトの不具合が見つかりましたけど、これだけ一斉に見つかるということは、今までやる事をやっていなかった、ということであって、戦後のひずみ、というのに留まらず、最低限のやる事をやっていなかったようで、やはり局所的な責任があるといえます。とにかく悪い意味でいい加減なんですよね。
また、東電の孫受け構造のように、中日本高速道路のような中間搾取団体団体があって、実務は下請けがやっているのが非常に問題で、国が責任を持って統括してメンテナンスをやるべきだということを提言するべきです。
政治家や官僚にとって新規建設の方が面白い、という根元祐二教授のインタヴューがありましたけど、面白いというのは悪い意味で学者らしからぬ言葉で、そこには明らかに利権の構造があるわけですからそれを指摘するべきです。
グリーンピアなど失敗もありました、というアナウンスもありましたけど、この類の事業はほとんどが失敗であり、ありました、という表現は穏当すぎて事実から離れています。
原発と重ねあわせていて、核廃棄物や事故の時のお金を例に出して、一時期よければ良いのかとやっていましたけど、安全対策をしないから本来よりコストが削減されているという視点がありませんし、実は一時期も良くなかったのであって、日本の電気料金は国際的にも高く、触れられませんでしたが交付金などもあります。ここにも原発は安いという刷り込みを紛れ込ませているのが罪深いです。
それにしてもこの問題は、世界では廃炉ビジネスが注目されていると聞きましたが、そういった方向へ舵を切れないことと軌を一にしています。どちらも背後に捻じ曲がった欲望があるのは共通しています。
スタジオに戻って、メンテナンスにうんと使うという発想はなかったと関口宏はいっていましたけど、うんとではなくて普通に使えば良いのです。
直後に寺島実郎が、高速道路無料化というけれどそれでメンテナンスが疎かになる、ということをいっていましたけど、高速道路無料化の是非はともかくとして、そういったお金を新規建設にまわしてきたのがいけないのであって、そこを振り返らないとジャーナリズムとは言えません。
たくさん取れば、必要な所に使われるわけではなく、お金の使い方の問題なのです。国土強靭化を前提にした消費是増税とそっくりです。
この後にETCの義務化を提言していましたけど、ETCは官僚などの利権の巣窟といしてつとに著名であり、どこまでどす黒いのか、底なしだなという感想です。どうしても義務化したいなら、そういった構造に触れるのは必須です。
岸井は、政治家の道路を造りますなどという甘い言葉に有権者が乗ったからだ、といっていましたけど、地域の人が自分たちで選択して責任を持って建てるならば、後のメンテナンスを考えて無駄なものは建てる選択はしないはずで、批判すべき本質は中央集権ばら撒き体質です。よしんばそれで微妙に機能していたとしてもこれからは変えていかなければいけない、という提言が必要です。
また、こういった新規建設は官僚の利権の巣窟でもあり、そういったお金による官の癒着を批判するのがジャーナリズムです。記者クラブ制度などで癒着をしていて、官に対してそのような事をいわないのが、メディアの一番の問題なのです。
最近はねたをみるように観てしまうのですが、酷い番組だなぁ、の一言です。
内村のスキャンダルの報道がありましたけど、五輪での本来とかけ離れたパフォーマンスの低さは異常でしたので、納得がいきます。最近でも絶好調な感じではありませんでしたからね。
今思えば五輪ではやけに母親がべたべたして過剰なくらいにに力づけていた、という話も聞きましたけど、恐らく勇気付けていたのでしょう。
噂を基に書くなら、恐らく失着は五輪に向けて本来の恋人を遠ざけたことで、五輪の選手はピークに向けてパフォーマンスを上げていかなければいけないわけですが、変に日常から離れてしまうと逆にパフォーマンスが上がらないということがあります。そういった部分で齟齬があったのではないか、と感じました。
スポーツと違って準備期間のない武術では、日常心の延長にピークパフォーマンスがなければいけない、という事を口すっぱく伝えているのですが、それは競技スポーツにとっても大切なことであって、結果的にみるとそういった面がスポーツ文化という面からみても、足りなかったのかなと思います。
12月10日の朝10時ごろのラジオでは、なかにし礼さんがガンの克服について話していましたけど、どこの病院に行っても切るか延命治療しかない、といわれたらしく、陽子線治療については知っているはずなのに誰も教えてくれなかったのだそうです。4人の名医にかかったのに誰も教えてくれなかった、と強調して嘆息されていました。
陽子線治療は身体への負担が少なく、非常に効果が高いのですが、治療費が300万円前後と非常に高いのがネックです。みんなでやれば機器も安く上がるようになるので、治療を受けられて助かる人が増えますが、大半の医師は恐らく旧来の技術に纏わる既得権やせっかく身に付けた技術にしがみついているのでしょう。なかにし礼とかですと、桑田佳祐のように高額な部屋に入るのでしょうから、自分の所に入院してもらった方が儲かる、というのもあるのかもしれません。
医療倫理というとiPSの議論のような生命倫理に関わるようなものが良く取り上げられていて、それももちろん重要なのですが、もっと基本的なところの底が抜けているのではないかと思います。
未だに勘九郎と呼んでしまうのですが、勘三郎さんも切開せずにこの治療を受けていれば免疫力も下がらずに生きていたはずで、非常に惜しかったと思います。インターネットで調べたなかにし礼さんは本当に命拾いしたと思います。
この治療を受けてもなくなってしまった人には長谷川穂積選手の母親がいますが、大腸ガンの末期だったので流石に助からなかったようです。なかにし礼さんの食道ガンの4センチというガンの大きさは、勘三郎よりずっと進んでいて、助かる可能性は非常に高かったと思います。教えられたのか是非聞いてみたいと思います。
私は他にもある分野で目覚しい成果を上げている外科手術の最先端の治療法の現場を知っているのですが、治療を受けに来られた方々はみんな先生は教えてくれず、自分で調べてきた、というんですよね。言っても止められたという人もいて、こういうように医師が良心に基づいて普通に行動すれば助かる人で、実際は助からなかった人が日本には今なお沢山出続けているのだと思います。
余程特殊な人でないとこんな感じだな、というのが実感です。(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/53118201.html)
(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/53057014.html)で書いたこととも繋がります。
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