Bunkamuraザ・ミュージアム 国立トレチャコフ美術館所蔵 レーピン展その4

#その他芸術、アート

10月10日のTBSの午後6時のニュースでは復興財源がこじつけで違う用途に転用されているという特集をやっていて、仮の街も作らず、森林除染はせず、賠償はケチり、食べて応援キャンペーンで無用な被曝をさせ、必要な所に出さないでこのようなことに使うのは言語道断です。
特集自体は良いのですが、やはりぬるいです。
こういうのをやめさせるには立案した本人や通した本人を直撃して、断られたなら家から出てきたところをインタヴューすることです。それが出来ていないのが惜しいと言いますか、それをやらないから何度でもこういったとんでもない愚策が繰り返されるのでしょう。

最近では福島の小学校の給食より福島県庁の食堂の方が十倍もセシウムの基準が厳しいということが話題になっていますが、本当であるとしたら、やはり子供に本来は使えない食物を食べさせることによって賠償を節約している、というのが本質です。こういう思想を繋げて行くと、使うべきお金を自分たちの省庁に予算として分捕ってきて使う、という発想になるのだと思います。

しかし特集直後の、CMに入る前の、二足歩行のパンダが出てきました、という煽りコメントが酷く、実際にみてみると着ぐるみを着た人間。いくらなんでも、視聴者を騙すものとしか考えていないとしか思えません。

10月10日の報ステの天気予報では「男心と秋の空」を江戸時代が男性本意で女性の浮気は表向き許されていなかったから、と言っていましたけど、僕はむしろ逆で、明治になって女性を男性の所有物のようにみなすようになってから、女性は気分が移ろいやすいんだよな、と男尊女卑の立場から軽蔑の意味が込められるようになったのではないかと思うんですよね。
軍国主義の父権的な立場から男は心が動いてはいけない・動かないものだという通念が広がったのではないでしょうか。

明治になって「女心と秋の空」が主に使われるようになったのは、文学の影響ではないかというのと、女性の権利が向上して、女性中心の恋愛に移ったから、とのことですけど、このブログでいつもいっているように明治の延長として江戸をみる史観として極めて怪しく、私は納得できませんでした。

10月11日の玉川総研では古川元大臣が出ていて、原発ゼロだと電気料金2倍は誤解だ、と言い切っていました。しかしながらすべてメディアによって一斉に報道され、すでに国民の常識として大きな影響を与えています。情報発信の責任は古川元大臣にあり、なぜこのような誤解が報道されてしまったのか、検証と改善策を示した上で責任を取るべきだと思います。

そもそも玉川さんも意外な答えが返って来たといっていましたが、それは報道機関でさえエネルギー行政の中心の大臣の真意を知らなかったということであり、誤解があるなら大きな声で訂正するべきであって、それをしないのは口でいうことだけ言って現政権の流れに擬態しようという意図が働いているのではないかと思います。

口先だけで何とかということが政治家に多く言われますが、この古川大臣こそ筆頭といえるでしょう。ここにごまかされないできちんと批判していくことが非常に大事だと思います。前にも申し上げましたが一番厄介なのは良くない流れと共存している批判派なのです。

この回のもう一つの論点はアメリカの日本に対する原発維持の圧力でしたが、国内で原子力ムラが圧力を装って原発維持をもくろんでいるという見方も非常に強く、そもそも本当に圧力なのか、といったところから掘り下げるべきだと思います。

最後に経済界は一体なんなんだ、という話が出てきましたけど、そこを掘り下げればなぜこのような誤報が乱れ飛ぶのかといった本質が観えてきますけど、そこまではできないのでしょうね。
前の島田市長の利権の話とかもスルーされていましたけど、スポンサー系とかこういった話は玉川さんでも触れられないみたいで、それはテレビというメディアの現在の構造における限界を示しているのではないかと思います。

玉川さんは最新のツイッターを読んでも、どうもまだ橋下が真面目に脱原発をやると思っているみたいで、これがフェイクであるというのは、わかる人は大体わかっているでしょう。経団連などもそう見切ったと聞いています。
橋下は政局的に取り上げるならともかく、政策的にみるべき物を持っていない人で、そもそも前言を翻すのは朝飯前です。玉川さんはそういったところを見切れていないのではないかと思います。

10月11日の報ステではJAの脱原発決議のニュース中で、福島の農家の方の現状を放送していて、風評被害で収入が減っていたり、乾燥させて濃縮するあんぽ柿が基準値を超えて出荷できないとのこと。

番組中ベルトコンベアを流れたお米のベクレル数はキログラム中12ベクレルを示していて、確かに基準値以内なんですけど、事故以前と比べると百倍以上の数値であって、購入する側に情報がちゃんと開示されて避けられる権利は当然あって良いと思います。

風評被害、という言葉を使わないで報道、または農家の方も表現されるべきではないでしょうか。(仰っている方の声もテレビ電波に乗らないだけで色々聞きますが)

これとセットの話ですが、収入が減って困っているとのことで、これは東電が補償するのは当然で、更に賠償金を非常に高く積まなければなりません。復興予算をいらない所に使う一方で、「風評被害」という事にして賠償金を節約しようとしているといえます。小出先生をはじめいろんな方が仰りますが、これは実害なのです。

同日の報ステでは滋賀県と河川ムラの戦いをやってきましたけど、官僚がダムが必要だというデータばかりを出してきたのですが、県が独自のチームを作って検証するとすべて覆ったとのこと。結局ダムの建設を凍結したら交付金が2割減ったそうですけど、どちらも大問題で、大きなニュースになるべきだと思うのですが、聞きません。

裏には国土交通省OBのよりお金がかかる事業をしろという指示があるとのこと。これによって利権を獲得して、私腹を肥やすわけです。

国を滅ぼすのは官僚である、というのがやはり率直な現実で、信頼している人がまだ多いが一番の問題だと思います。

しかし県知事を取り囲んだ市長なども酷いのばかりで、参状という言葉では表現し切れません。

スポーツでは投手の館山さんの手術跡は壮絶で凄いんですけど、指・肘・肩と壊して手術するというのはやっぱりフォームに合理性を欠いている部分があるからで、肘を中心に僧帽筋で叩き付ける様なフォームだと思うんですよね。腕にしなりが無い、というのがぱっとみた第一印象で、ここを一番の課題にして鍛錬するべきなのではないでしょうか。

10月12日のこの日の報ステのニュースでは東電が公開したビデオを検証していて、ゲストは佐野眞一氏。

佐野さんは言葉は悪いけど、と前置きして、町工場で右往左往しているみたい、と事故直後の対応を表していましたけど、こういう表現は私たちの世代の感覚からいうと疑問でしょう。いいたいことはわかりますけど、東電よりしっかりしている町工場はたくさんありますからね。

また、佐野さんは東電の非をあげつらうのはやめよう、といっていましたけど、これだけの事をやって強制捜査も入らず、活断層の上に建てたり、警告を無視したり、海水注入を躊躇ったり、事故後も隠蔽と嘘情報を流し続けこのビデオも断片的にしか公開しません(これは枝野の責任も大きいですが)、散々な事をやって振り返りもせず責任を取ってもいないのに、あげつらうのを辞めようという表現は肯ぜません。いまなお生き残るために解体を拒み除染や賠償を切り詰めて電気料金に上乗せして生き残ろうとしている企業なのです。
尺が無かったみたいですけど、古舘さんには突っ込んでもらいたかったと思います。

ただ大きな視点からの反省は必ず必要なのですが、それはミニマムなレヴェルでの的確な処理が前提であって、こういう議論はそういった所を飛ばしてしまって正しい反省を妨げる原因となる可能性が高いでしょう。

佐野さんにはちょっと疑問があるといいますか、地を這うような陶酔感を文章から感じることがあるんですよね。例えば東電OL事件の被害者をブラック・マリアとか名づけていらっしゃいましたけど、申し訳ないんですけど、はっきりいえば、そんなに珍しくない情緒不安定な人だと思うんですよね。
今回の朝日の記事の問題は、なんかそういう方向性の陶酔感のあまり筆が変な方向に進んでしまったのではないかと感じますね。

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