片山さんの評論を読んで、猛烈にブリュッヘンのハイドンを聴きたくなったんですけど、終わってました(ぇ 宇野せんせーのサイの記事も、そんなに凄かったのかと思いますけど、一期一会のコンサートが結構ありますねぇ。
なにはともあれ、グリモーさんはいつでも少女のようです。そういう方っていらっしゃいますよね。
ブックレットのグリモーさんのインタビューで印象的だったのは
バッハの音楽の持つ表情の豊かさは、音符と音符の間ではなく、
まさしく音符そのものの上にあるのだと気づかされました。
という部分で、これを違えなければ、モダン楽器でも全く違和感が無い事を、このCDに教えられました。間は時代によって、良く使われたり使われなかったりするそうですけど、楽器の性能の違いゆえか、特にロマンは以降の間の感覚は、バッハとは異質な感じですね。
「前奏曲とフーガ 第2番」は、いきなり、モーツァルトの小ト短をチラッと思い出させるような、一気呵成の表現。勢いのあるバッハといえばアルゲリッチを思い出しますが、グリモーも似たような香りを残しつつ、ずっと整っています。
「第4番」は、弱音で通した意欲的な演奏。バッハの数学的な美しさに、ラヴェルのような寂寥感がたまに紛れ込みます。
「ピアノ協奏曲 第1番」は、アレグロでこれだけ意志的な表情を付けて、全くあばさかった所が無いのが流石です。
第3楽章などグリモーの言う通り「取り付かれてい」るような表現で、バッハが「狂気の人」であったという主張が音楽をもって伝えられます。伊福部節に近い感じすらします。
グリモーさんが狼と過ごしていたのは、音楽家として野生に回帰しているから、に違い有りません。
ここで再び「前奏曲とフーガ」に戻るのが、面白い構成で、プロムナード的に使っている様な感じがします。
「シャコンヌ」は闇夜の線香花火のような歌が続いた後、いきなり弾ける事がの繰り返しですが、その振幅、変化するニュアンス、詰りに詰まった内容に驚きます。
「前奏曲とフーガ 第20番」の「前奏曲」は飛び掛る前に一瞬縮んだような演奏で、マニアックな集中力が、時にグールドっぽく響きます。
「前奏曲とフーガ イ短調 オルガンのためのBWV543からの編曲」はオルガンの壮麗さが、グリモーのうねる様なピアノで再現されます。この曲集では、ピアノが高級な小型オルガンのように、時に響きます。グリモーによれば、バッハは「天球の音楽」なのだそうですが、さーっとオルガンで夜空を描くような所があります。
「前奏曲 ホ長調 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第3番 BWV1006からの編曲」では、ヴァイオリン・パルティータが実に絢爛な曲になっています。折り重なる音が、絶え間無い川の流れのような余韻を残して、アルバムを閉じます。
ブックレットで語っている文章も、内容が深く、頭の良い人だなぁ、と思いました。
コメント