東京国立博物館 仏像 一木にこめられた祈り

#練習用

鬼の様な人出で仏像ファンってこんなにいるんか、と思いました(笑)

やっぱり最近はやっているんですかねぇ、若い女の人も結構居たのが印象的でした。

まず最初は十一面觀音菩薩立像の嵐からでしたが、細かい彫刻は凄まじいですね。

私は仏像についての知識は無いのですが、仏教的な知識から十一面觀音というのは何故にこうも沢山顔を持つのだろうか、という事を考えますと、やはり真の菩薩たる者、時に応じて色々なやり方が出来なければならない、という事だと思います。

一番の注目はやはり仏陀っぽい顔が一段上に置かれている事です。

尊いっていうことで上に有るんでしょうけど、一番多きな顔を尊くしちゃってもいいと思うんですよね。

これは鈴木大拙師の言う「天国はたまにいく所である」という言葉を体現しているのだと思います。

超然と悟ったままの人間というのは、境地の前進も計っていなければ、布教もしないあんまり役に立たない人なのですね。たまになら芯の強い人という事になりますが。

古代人の仏教理解というのは、古文書を見るに付け異様に高水準で、こういう考えを直感するのは朝飯前だったのかもしれません。

それが仏像に現れているのだと思います。

この仏像はやはり色々な顔が見所で、中でもやはりメインの向源寺の物と霊山寺の物は見ていて面白かったです。

後は唐招提寺の増長天立像が迫真の躍動感で素晴らしかったです。

色々様式があってそういうのも面白いんですけど、仏像は細かく見たら負けですね(笑)

細かい話はやっぱり四の次位になりますよねぇ。

長くやってもあれなんで、飛ばしていきなり円空に入りますと、場の空気が今までとまるで違ったのが面白かったです(笑)

荒々しいんですけど、優しい仏像なんですね。

やっぱり民に寄り添うっていうのはそういうことなんですねぇ。親しまれてこそですね。

円空の仏像に光背が有るのは珍しいと解説に有りましたけど、光背って言うのは一般の人に柔和に布教しようと思えば、逆に邪魔になることも有るのかなーと思いました。

木食は自分の像に光輪をつけているのが笑えました(笑)

木食の光輪は中に梵字が書かれていて、何かの魔方陣みたいでかっこよう御座いました。

趣味人がやっているような雰囲気もあって、細部への労わりが感じられましたね。

円空も木食も不動明王がかなり印象に残りました。

この二人はやっぱり前衛芸術で、仏像文化も爛熟しきったんだなと思いました。

様式的な仏像は素晴らしいのは分かるんですけど、肩が凝る所も有りますよねぇ。

言えばきりが無いので、最後に常設展事の觀音菩薩立像に何故かとても感動した事を加えて終わりにします。

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