券を頂いたので、行って参りました。
最初のほうで目を引いたのは岩佐又兵衛。
「野々宮図」は光源氏を描いているのですが、腰が突き出た変わった格好(又兵衛の特徴だそうです)。
「職人尽図巻」では背筋が前のめり気味に曲がっている人物が多く、これがなんともいえない、寛いだ楽しさを醸しています。
横の菱川師宣の「江戸風俗図巻」の人物の、颯爽とした美しさと比べると、非常に対照的で、並べた展示がナイスです。
又兵衛は奇想の画家と呼ばれ、鮮血がほとばしるような絵が良く取り上げられますが、普通の人物を普通に描いても、やっぱり変わった所があります。
英一蝶の「四季日待図巻」は流された先の三宅島で描いたらしく、神職さんが祈祷をしているのを後ろから扇いでいる場面とか、気の抜けたような寛いだ場面ばかりなのに、やけに気迫を感じる作品。
どの図巻もみんな寛いでいて、とても楽しそうです。そもそも日本人は、開国前までは動きがばらばらで軍隊行進が出来なかったわけで、西洋人に言わせれば時間にもルーズでした。職人は休日が多かったそうですし、農民も仕事と遊びのバランスが今より取れていたくらいだった(佐藤常雄+大石慎三郎「貧農史観を見直す」128ページ)そうです。
以前、鉄塔を造る職人に弟子入りした青年をテレビで追いかけていました。年寄りの職人が上手く力を抜いて一日中働き続けるのに対して、青年は力んでしまって短時間しか働けず、仕事量に非常に差が出てしまった、という話で纏めていました。
つまり無駄に力むと効率を落とす、ということがあるわけで、かつての農家や漁師、樵もこの年寄りの職人と、同じ様な働き方をしていたのではないか、と思います。
そしてその弟子入り前の青年が音楽を学んだものをもって、日本的演奏としているのではないか、と思うのです。
次のフロアは絵巻物。
絵巻物ははっきりいって、状態の悪いものも多いし、良く分からなかったんですけど、「橘直幹申文絵巻」を見ている時に、見方を発見。一人一人の人物を見ないで、ちょっと引いて、物語を感じながら全体の雰囲気を感じ取ることで、面白く観られるようです。この絵巻は何台もの牛車が暴走している場面なんですが、この渦を巻いたような迫力に加えて、いきなり日常から野性の世界に放り込まれたような、場面の緊迫感が最高でした。
そうやってみれば、動画っぽく動いてくれるもので、「長谷寺縁起絵巻」は最初の天人が白蓮花を咲かせに来た場面から、中々ドラマティック。
「福富草紙絵巻」は痛い話な上に、当人も痛い目に遭ってしまうのですが、最後に描かれた母乳を与えている女性の母性が何か凄かったです。これが物語り全体を包んでいるようで、ボケと突っ込みのようにバランスが取れていました。
「神於寺縁起絵巻断簡」は役行者がお坊さんが講義する法華経を畏まって聴いているので、大袈裟だぁ、と思ったのですが、現代まで来てみても法華経の影響力はかなり凄いので、先見の明?があるというべきでしょうか(笑)
冷泉為恭の「雪月花図」は山並みを向こうに、細かい描写で出されたスケール感があって、そこに十二単の女性が映えます。
「大江千里観月図」は月を観る時の、冷たい風まで吹いてきそうな、奥行きのある作品。
この人、経歴を調べると、とても本格的な感じはしないのですが、この二枚はかなり上手いと思います。
狩野探幽「源氏物語 賢木・澪標図屏風」は向こうに浮いている舟の茫洋とした雰囲気が中々の味。探幽という人の絵は、名前から想像できる、そのままの絵のような気がします(笑)考現学を始めた方の名前が今さんだったと知った時も思いましたけど、名前の影響力っていうのは侮れ無い様な気もします(笑)
伝 土佐光信の「四季花木図屏風」はぼとぼとと落ちる、紅い葉っぱの存在感が中々。九鬼周造は日本の芸術には太いものと細いものがあると書いていましたけど、この暖かい厚ぼったさは太い芸術の名品のものだと思います。
次回の予告の「三彩家屋」が、かわいらしい置物で、次を期待させます(笑)
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