太田記念美術館 生誕250周年記念 -北斎とその時代- 後期

#その他芸術、アート

行って参りました。
この日もかなり混んでいて、皆様流石に物見高いです。

肉筆画は「羅漢図」と「雨中の虎」。羅漢図は今まで観た中でもインパクトが随一の作品で、相変わらずの妖しさ。虎は逝去の年の作品で、長く、竹に纏わりつく四肢が、間違えて描いたドラえもんといいますか、そういう感じで、妙なデザイン的な力がある作品。

冨嶽三十六景では「五百らかん寺さざゐどう」の後姿のいなせさが、なかなか痺れます。
「江都駿河町三井見世略図」は三角形を繰り返した綺麗な構図。北斎が描いた概説書などを見ても、北斎は構図を要素還元して、理論的に組み立てて行く目を持っていたみたいです。奇抜な構図も、実際より構図センスを優先した必然だったように思います。

構図を突き詰めるといえば、日本で江戸時代に宗教の代わりを果たしていた、神仏儒習合というものですが(加えて身体的な鍛錬も重視されましたが)、戦後にこのうち、神、儒に関して本源に立ち返って突き詰めたのが白川静さんで、仏について同様の事をしたのは中村元さんだったのではないかと思います。
それでどのような結論が出たかといえば、それぞれの文化の源流においては、道徳ではなく道を追求していた、ということではないでしょうか。

白川静さんは精神を二つに分類しています。

孔子の求めたイデアの世界は、ノモス社会とはまったく相容れぬものであり、孔子の高くきびしい人間精神の探求は、つねに反ノモス的なものであった。(孔子伝 文庫版 297ページ)
ノモスは分配を語源とするものといわれている。それは公共性の原理であった。具体的には道徳や法律がそれである。(中略)それは集団そのものの権威の上に成り立つものであるから、個人的契機を含み難い。(同 199ページ)

とのことで、前者の思想を体現するものとして孔子と老荘。後者に孟子以降の儒教、墨子、韓非を分類しています。

神道においては「神とともにたのしむというのが、祭り本来のあり方です」(文字講話Ⅲ 183ページ)といった面を強調されています。

また中村元さんは
「教義を否定した所に仏教がある」(ブッダのことば 岩波文庫384ページ)「ブッダは、教団内の異なった意見に対して寛容であった」(同 366ページ)「ゴータマはその臨終においてさえも、仏教というものを説かなかった」(ブッダ最後の旅 岩波文庫291ページ)
と書かれていて、仏教の根っこに反ノモス的なものを、イデアを志向するものを、みられていたのではないかと思います。
つまりこのお二人が、戦前・戦中の極度にノモス的な文化状況を受け止めた後に、共通して明らかにしたのは、日本人が培ってきた精神文化はその根っこにおいて、ノモスを否定しイデアを志向するものであった、ということだった、と言えると思います。

このような先哲の思索を生かしつつ、未来に向かって文化を再構築していくならば、個人と文化の関係において、常にイデア探求的であるか、ノモス的に陥っていないか、という事を問いながら関わることがとても重要だと思います。
これは集団・政策についても同じ事だといえましょう。
そしてそのことを常に忘れないならば、文化はその未来において、永久に限り無い恩恵を私たちにもたらしてくれると思うのです。

そのほかでは、二代豊国の「名勝八景 大山夜雨 従前不動頂上之図」がざっくりした雨が特徴的な、面白い絵。

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