太田記念美術館 特別展 日独交流150周年記念 ハンブルク浮世絵コレクション展―ハンブルク美術工芸博物館の浮世絵を初公開― 第二期

#その他芸術、アート

行って参りました。
この日は太田記念美術館には珍しく、静かにしてねとのアナウンスが。浮世絵美術館に賑わいがあると楽しいですけどね(笑)
鈴木春信の瀟洒さは突然変異といいますか、当時の衝撃が分かるような気がします。「下駄の雪取り」は下駄の雪を取っているだけで、舞の様で詩情が溢れます。
とはいえ、日本には座っているだけで舞っている様な、きらきらとした雰囲気の女性もいらっしゃるので、伝統ですかね。

北斎の「富嶽三十六景 相周箱根湖水」は人がいても良さそうなのに、人がいない寂とした図。彫師が語りかけてくるような(錯覚)山の稜線が味わい深いです。

広重の「大はしあたけの夕立」は綺麗な刷りの状態。斜めに入った川岸の線が、空間を湾曲させていて、それが絵に破調の美を与えているのが、分かります。

北斎の「日本さん筆」は全員女性なので、女性化ものですかね。画中の屏風の北斎の画中画がやたらに気合が入っていて、雄渾です(笑)

「達磨と小僧」は広重の1818~9年ごろの肉筆画(多分)。いたずら小僧が寝入った達磨の鼻に棒を突っ込んで起こそうとする図で、当時の禅の受容のされ方が彷彿とします。当然ですけど、仙厓さんは何もいきなり歴史に出てきた人ではないんですね。
横の広重の書の筆運び、筆勢が絶妙でなかなか良かったと思います。

豊原国周の「花鳥と二美人」(版下絵)は明治15~7年の作品。楚々とした美人で、プレ清方的な雰囲気が漂っています。
戦国の頃のフロイスの報告書に結構自由に離婚していたことが書かれていましたけど、江戸時代の終わりまで、女性から離縁しやすい環境だったらしく、離婚率が高かったのだそうです。
そういう時代が終わって、いわゆる明治的な女性が出てきた。それにつれて女性が楚々としてきた、というか飾り物っぽくなってきたのが描かれているのではないかと思います。

「ところで、わが国固有の伝統とされていることの多くが、実は明治時代中期ころに作られたものといえる」(三くだり半と縁切寺(講談社現代新書)9ページ)ということですけど、こういうものは他にも多そうです。この前ラジオで、意見を言わない日本人の美徳も時によりけり云々、という話をされていましたけど、この日本人は意見を言わない、というのもその一つではないかと思っています。

勝海舟は「徳富が来たよ。何処に行つても、日本人ほど、議論するやかましいものはありませんと言うて居たつケ」(海舟語録 (講談社学術文庫)98ページ)といっていましたけど、明治初期はどうもそういう、かまびすしい雰囲気があったみたいです。そして、このひとつ前の幕末には、千里の道を遠しとせずに議論を戦わせた人たちが、活躍した時代があったわけです。

この意見を言わないという、日本人の国民性とされているものは「近代以後の権力者・統治者のほうが、むしろきわだっておとなしい臣民・民草を欲するという癖があるのかもしれない」(モンゴル帝国と長いその後 (興亡の世界史) 杉山 正明326ページ)といった中で、醸成されていったものだと考えます。

ではなぜそのような国民性が日本に昔からあったかのように思われているのか、といえば、「和」という言葉が一つのキーワードなのではないかと思います。いわゆる「和を以て貴しとなす」ですけど、この言葉は議論をするな、主張をするなという意味ではなくて、すぐ後の文章で議論をしろ、と書いてあるんですよね。つまり、徒に対立的な議論のための議論をするな、と書いてあると読めるわけで、これは今の日本にとても欠けていることの一つでしょう。

また中村元さんによると「元寇の後の法要では、わが軍の将士の霊を弔ったのみならず、元軍の将士の冥福をも祈っています」とのことで、これを「和(やわらぎ)をいとしむ日本人の伝統的精神」(仏典のことば (同時代ライブラリー)121ページ) というのだそうです。この伝統も明治以降に失われました。
つまり「和」というのは、徒に妥協をするというようなものではなく、これらのような現代の日本人から遠くなってしまった柔和な精神を指すものだった、といえるわけです。

ところでこの「和」という言葉で思い出すのは、戦前戦中の「無我」という言葉です。この言葉は仏教の境地を示す言葉ですが、ゆがめられて滅私奉公の論理にすり替えられました。恐らくあたかも滅私奉公が日本人の伝統的な高次な精神であったかのように、錯覚させるように働いたのではないかと思います。
ここまでの直接的な悪影響は感じませんが、戦後の「和」という言葉の解釈に、戦後の気風を伝統的なものであるかのように錯覚させるような、ゆがみが混じっていたのではないかと思います。

今、日本全体の傾向として明治に成立した、画壇ですとか文壇ですとか、壇が崩壊していると聞きます。報道の在り方に関する議論も活発です。
こういう万機公論に決するのに邪魔な仕組みは「おとなしい臣民・民草」を欲する政府の政策が効き過ぎてしまった結果、世界でも特殊な形で成立してしまったものだと考えています。
最近の動きは、本来の姿に戻ろうとする国民的な動きの中で、摩擦が生じている、と文化的な視点から観ると解釈できると思います(笑)本卦還りの一環なのではないかと考えています。

また、アメリカが日本に似てきている、といいますけど、アメリカがイスラム教などに対して、こういう、おとなしくさせるような政策を取るようになってきたことと、関係が有るのではないかと思います。

ということで、置き忘れてきた「和」の精神を思い出し、かつてのように「事を論う」。議論するやかましいものに戻った時に、風通しの良いエレガントな国がそこにあるのではないかと、思っています。

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