出光美術館 やきものに親しむVIII 茶陶の道 ―天目と呉州赤絵―

#その他芸術、アート

割引券を手に入れて、行って参りました。

相撲は春場所の中止が決まりましたね。私は折角なので春場所の代わりに、伝統の女相撲を復活させたら良いのではないかと思うのですが、諸兄の意見はいかがであろうか(何

福建陶磁は南宋の時代から盛んになるらしく、南に拡大したこの頃の中国を代表する地域といえるでしょう。

新安沈没船についての展示があったんですが、元時代には生産されていなかった天目茶碗が積まれている事から、日本人の趣味に合わせた骨董品を輸出していたのだろうとのこと。
ぐぐってみると、天目茶碗は元代でも生産されていたというので、どうなんですかね?

元代については、過小評価される傾向があるというんですよね。
歴史上で一番、日本と中国との貿易量が多かったのは元の時代だというのですが、出品量は控え目。
そういう文脈でみていくと、南宋・明のものとされているものの中に、元で作られた作品が結構混じっているのかもしれませんね(推測)

「飛青磁」ほにゃらら、の一群が元代のものらしく、無垢な青磁に散らされたこげ茶の斑点が、生気を与えています。ワイルドな雰囲気に元代とする説得力があるのかも?

福建窯は最初は技術が未熟だったらしく、「青磁刻花牡丹文皿」はくすんだ色合いがなかなか味わい深い皿。

今回は“日本文化の中で育まれた陶磁美”に焦点が当てられた展覧会で、日本の中で鑑賞されて伝来してきた面を強調されています。
中島誠之助さんも古人の確かな美意識があるから骨董に価値があるんだ、ということを強調されますけど、そういうことですよね。

天目茶碗は密かな好物で、今回メインの「油滴天目茶碗」はさすがの完成度。おぼろなシリウスたち、というと大げさですが、油滴にはそういうきらめきがあります。
心の綺麗な方もこういう春が匂い立つような、きらめきがありますが、油滴天目にもそういう深い所からにじみ出てくる美しさがあります。

他の天目茶碗も良い味わいがあって、かなり良い空間を作っていたと思います。
「黒褐釉四耳壷」の蔵のような存在感もなかなかでした。

唯一の絵画作品の「波涛図屏風」は伝長谷川等伯の作品だそうですが、あまり類例の無い感じの筆致ではあります(笑)雪舟の雰囲気を模しているようで、水晶のような鋭角な岩と、カウボーイの投げ縄のような、にちゃにちゃした波が特徴的。

伝というのは、よく分からないものを良く分からないにまま伝える、日本人の知恵だそうですが、よく解釈すれば、曖昧耐性が高かったということでしょうか(笑)

よくわからないといえば、この前某有名人の小説が出たときに、新聞に書評が書かれていました。私はこの小説を読んでいないので、わかるとはなにか、ということに焦点を当てて書こうと思うんですが、わかる小説だから良くない、ということを書かれていたんですよね。わからないことの効用が書かれていたと思うんですが、つまり小説全体を

    |
わかる|わからない
     |

と分けて右側の方を評価されていたと思うんです。
伊福部昭さんは「音楽入門」という本で「純粋に音楽的な作品に接すると、その音楽が何を示しているかを知ろうと、努力するようになるのです。そうして、もし自分の満足のいく答えが出ない場合には、その作品を理解し得ないと思い込むのです」(37ページ)と書かれています。また絵については「その意味を汲み取り得たと考え、また鑑賞し得たと考えている態度は、あるいは純粋絵画の立場からは誤解だったのかも知れません」(38ページ)と書かれています。

この本の前半では割合このようなことに、多くのページを割かれて書かれているのですが、これは恐らく老子の「知りて知らずとするは上なり。知らずして知るとするは病なり」(講談社学術文庫版215ページ)ということを仰っているんだと思います。
つまり表面的な意味が理解できたからといって、解ったと思うとその先の深い意味が理解出来ない、ということで、この事を参考にしつつ、表にすると

          |表面的には解る|解らない    
深い意味がない|          |            
ある         |           |            

と、芸術を始めとした世の中の多くの分野を分類できると思います。
例えば絵なら左下には東西の具象画の名品。右下にはピカソ辺り。右上にはその模倣作品の大半が入るのではないかと思います。
音楽なら左下にはモーツァルトや伊福部昭。右下は確乎とした例は出せませんね、、、。右上には現代音楽の大半が入ると思います。
こうやってみていって思うのは、現代は右上的なものに精力を注ぎ込み過ぎているのではないかということです。
その分を左下の区分に注ぐだけで、世の中の芸術にはもっと深みが出てくると思いますし、その薫陶によって右下の区分の作品も、現在以上に生産されるのではないかと思います。

特に現代は「知りて知らずとする」ことを忘れている為に、他の分野でも、社会から深みが失われているのではないでしょうか。
勝海舟が山岡鉄舟の口述に対して「山岡がこのようなわかりきった「たわごと」をいうたと聞いていてはだめだよ」(山岡鉄舟の武士道 149ページ)(この本は偽書の様ですねhttp://www.tesshu.info/abe.html失礼しました)と注釈をつけているのですが、似たような内容に行をかなり割いています。山岡鉄舟は鍛えの入った人ですが、その様な人の言葉でも表面を聞いただけでは、殆ど聞いた人のプラスにならないんですね。
東洋の文化遺産は大体このような物が多く、「知りて知らずとする」ことをしないために、ほとんどがお蔵入りになっているのが現状なのではないでしょうか。
なので、そういうことを推奨するシステム。社会の雰囲気を確りと構築していく必要があるのだと思います。

当時の時代の雰囲気と、天目茶碗が味わい深い展覧会でした。ありがとうございました。

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