平野綾さんがまた騒動を起こしたようですね~。事務所もやめちゃったみたいですね、、。
平野綾さんは昔から知っているんですけど、才能に溢れた凄く良い子だったんです。
それがどうして、率直に言って、こう、メンタルヘルスっぽくなってしまったのか・・・・。
やっぱりハルヒが一つの転機だったんだと思うんです。この作品を僕はみたことが無いんですけど、みた感じ余り良い感じのキャラクターではない。人間として基本が出来ていないんじゃないか、と感じることがあります。
それとアイデンティファイすることによって、少しずつ狂っていってしまわれたのでは・・・・。
ハルヒ自体は流行った作品だったと思うんですけど、それを過去の箱に仕舞って、新たな平野綾を目指すべきではないかと思います。
幸福な人生を願って止みません。
今年も敗戦の日がやってきましたね。黙祷。
中村元さんが仰っていますけど(仏典のことば 同時代ライブラリー版121ページ)、敵味方共に供養するのが、日本の「怨親平等」の伝統であって、靖国はその範疇から外れているんですね。
アメリカのアーリントン国立墓地の真似で、僕は遺族感情に配慮しつつも早くに東洋の理念に復帰して、敵味方共に祀るべきだと思うんですよね。
地震関連は除染は本当に今しかタイミングが無いようですね。これより喫緊な事件はそうはないはずで、特にテレビはガンガンに騒ぐべきだと思います。
フジの監査役が元東電だということが話題になっていますけど、もしテレビ・新聞でグループ間の適正な緊張関係があると言うのであれば、このことについて必ず取り上げるべきではないでしょうか。
前回の前田武彦さんはラジオも含めて一瞬ですべてから消えて、最近永さんの番組に出るまでまったく出てこなかった、と聞きましたが、この横の足並みを揃い方は極めて不気味です。
そんななかでフリージャーナリストの上杉隆さんは今回の震災でも流石に良い仕事をされましたけど、マードックの事件に対する、編集と経営は分離されている、というコメントは?ですね。
町山智浩さんがまっさきに指摘されていましたけど、問題はもっとかなり根深いもののようですね。海外のメディアに勤めていた、上杉さんがこういった事情をまったく知らないとも考え難い、、、。
上杉さんの話の傾向として、海外のメディアのネガティブな部分は話さないという特徴があると思うんです。
記者クラブの問題を話すときも、海外は○○なのに日本は・・・と話されることが多い。
確かに日本は圧倒的に遅れている部分もあるんですけど、海外のメディアのマイナス面もあるわけで、そのプラス面とマイナス面をみていった上で、プラス面をどういう風に導入するべきか、そしてその未来像、といった所を総合的に提案して、だから日本は記者クラブを廃止するべきなんだ、という風に仰った方が、この制度の崩壊が隨分早まると思います。
しかし最近は、検察が動かないのを疑問視されていますけど、これは大切な部分だと思います。
計画停電で人が死に、節電でクーラーを断って人が死に、しかも両方とも開示されている情報の正しさが怪しまれている中で、強制捜査に入らないのは論理的におかしい。
私も検察が動かないのはおかしいと思います。
福島県知事の裁判のこともありますし、司法は原子力村の大きなピースだったと思います。
司法でも過去の原発違憲裁判での過ちを告白する人も居ますが、諸々のしがらみをと向き合って、原子力村の向こう側に立つべきだと思います。
企業への就職など、生活設計に関わる話も聞こえてきます。企業・マスコミとのつながりをみると、金銭面から原子力村に留まっているのでは、と思わせるものがあります。
良く知りませんけど、人によっては、拝金主義はお前達だ、とかいってみると面白いかもしれません。
行って参りました。
なんでもフランスに先んじてアメリカの美術館が印象派の作品を買い始めたらしく、その成果がここに凝縮していて、印象派を中心としたコレクションの威容はなかなかのもの。
夏休みなので、宿題っぽい感じで来ていた子どもも結構いました。
特に充実していたのはマネ。
これだけまとまった形でこの作家をみるのは初めてですけど、極めて明朗な印象で、チラシにも刷られている「鉄道」は日常の素描ですけど、それでも豪奢な雰囲気を漂わせている感じがします。
反対側の壁に飾られていたのはコローの「うなぎを獲る人々」は森の中の子どもを描いたもので、一転して良い意味で土臭さがあります。
バジールは29歳で戦死したらしく「若い女性と牡丹」など、高い技術と構図センスが光ります。
若い女性は黒人女性なのですが、その黒と華美な花のコントラストが最高。
日本にも顔色が暗め?なのを気にする人がいますが、華やかな服などを着ていると、天与のもののように思います。
ピサロの「カルーゼル広場、パリ」はこの作家独特の非常に寒々しい絵で、夏にぴったりです(笑)「生涯競馬-落馬した騎手」は馬の股間の描写に意欲を感じます。
モネも作品も非常に素晴らしいものが勢ぞろい。名作「日傘の女性、モネ夫人とその息子」は荒い筆捌きから細かい空気の動きが伝わってくるようで、やはり実物を観るのが解りやすいかもしれません。
金麦のCMはこの作品をなぞっているような気がするんですけど、どうでしょうか、、、?
「ヴィトゥイユの画家の庭」は一面の花が色彩の極み。置いてある壷は東洋製っぽいですね。
「太鼓橋」は晩年ほど描写が崩れておらず、水面の清澄さが冴えています。
モリゾの「姉妹」は日本趣味の姉妹の室内で、扇子ですとか、花鳥の文様に溢れています。解説によると日本の文化は自由主義的で教養のある人に愛されたらしく、江戸文化が持っている方向性に同趣の人がくっついてきている図といえるでしょう。
逆に「江戸の恋」(田中優子著)によると三島由紀夫はギリシア文化が好きで江戸文化は嫌いだったらしく、ああいうキッチュでマッチョな思想の人は江戸文化に嫌われてしまうのです。
この本によると、ナショナリストは江戸文化を好まないそうです。
ルノワールは「モネ夫人とその息子」の扇子を取り入れた典雅な雰囲気に目が行きましたが、どれこれも精髄が発揮された作品。
カサットの「麦藁帽子の子ども」はあどけない子どもの絵で、明らかに女性の視点が物をいっています。
心が綺麗な女性は、行楽地などで子どもと映っていると映えるものです。
エヴァ・ゴンザレスはモリゾ、カサットのように評価されるべき女流らしく「家庭教師と子ども」は上手かったですけど、個性はまだ良く分かりませんね。
エッチングなどを配した第三部の解説によると、印象派は未完成の美学らしく、それは移ろう近代と関係があるそうです。
書いていないですけど、当然日本画の塗り残しなども影響を与えているでしょう。マネの「葉のあるキュウリ」は極めて簡略で水墨そのもの。
エッチングのドガの「オペラ座のホワイエ」は茫洋としていて、ドガらしい感じが出ています。
ポスト印象派の部では、ゴッホの「薔薇」が、ほとんどみない明るい色彩で、清涼感があります。
横にある自画像も実に有名なもので、やはりこのこの展覧会の充実度はかなりのものです。自信満々の館長の語りにも納得できます。しばらくやっているので、ぜひぜひ、どうぞどうぞ。
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