千葉市美術館 仏像半島―房総の美しき仏たち― 前期 その4

#その他芸術、アート

行って参りました!

仏像半島の名前は伊達ではなく、千葉には質量ともに相当なものがあります。

なんでも展覧会中の解説によると、舟で行くと房総半島は鎌倉から近いらしく、そういわれると確かに隣のように見えてきます。

今回最も躍動感があったのは「十二神将立像」(木造 十二体 鎌倉時代前期 十三世紀 東明寺(富津市))で、淨瑠璃寺の傑作群に匹敵する出来。

チラシにも刷られている今回の呼び物で、実にダイナミック。内外ともに魔を払うのは勇猛心である、という事を思い出させ、仏教の真髄を伝えます。人はこういった気迫が無いと周囲の状況に引きずられたりしてとんでもない方向に行くことがあるんですよね。

腰の曲がった卯像など重心も綺麗。子像であるとか肚も良く落ちています。

申や午は足が物凄く外旋していますけど、よほど股関節が柔らかいんですかね?

未など持ち物が欠けていて変ったポーズになっているものもありましたが、実際はどんな感じだったんでしょうねぇ?

すべて火炎付きの光輪がついており、当初は極彩色であったとのこと。

美術大学などの有志に極彩色の状態で復元してもらいたい所。そういうのがあると面白いですよね。

ここはずっとうろうろしていて、いつまでも感動します。

「十二神将立像」(木造十二体鎌倉時代後期十三世紀後半小松寺(南房総市))は慶派の作品だそうですけど、むしろおとなしく、解説で飄逸味と表現されていたような、軽い面白味があります。

「二十八部衆立像及び風神雷神像」(木造二十五体南北朝時代建武二年(一三三五) 真野寺(南房総市))は中央に置かれている「千手観音菩薩立像」(木造一体平安時代後期 十二世紀真野寺(南房総市))の化身たちであるらしく、中国風の衣服を着ていたり、第三の目があるらしい僧侶が居たりしてこの前の下に謎の僧形の像がついた円空の「千手観音菩薩立像」の意味を思わせます。

「十二神将立像」(木造八体南北朝時代十四世紀後半密蔵院(佐倉市))も変わった作品で、雲上にいるかのような超俗した雰囲気が特徴。子像など実にとぼけています。

「聖観音菩薩立像」(木造一体平安時代後期 十二世紀小網寺(館山市))は、藤原仏の良さが凝縮したような仏像、との解説で、確かにシンプルな中に端正な変化があります。

「薬師如来坐像」(木造一体平安時代後期 十二世紀東光寺(長生郡長南町))など、いわゆる漏れなく救うという意味が込められているという水かきがありますが、これは壊れにくくする工夫が先にあって、理由は後付けのように思います(^_^;)

「薬師如来坐像」(木造一体平安時代後期十二世紀後半常灯寺(銚子市))は大きなもので燃え立つような豪放な光背を持っています。

「阿弥陀如来及び両脇侍像」(木造三体鎌倉時代安貞元年(一二二七) 道場寺(富津市))は瀟洒な宝冠を持ち、仏の智慧の静謐さをうかがわせます。極上のアラベスクのような繊細さがあり、宝冠というのは良いものだなと思います。

「薬師如来坐像」(木造一体鎌倉時代前期十三世紀前半西蓮寺(鴨川市))は60年に一度公開される秘仏。「伝七仏薬師如来像」(木造七体平安時代中期十一世紀初東光院(千葉市))も33年に一度だけ公開される秘仏で、こちらはちょうどその御開帳の年にも当るとのこと。
秘仏はどちらかというとシンプルなものが多いように思います。共に秘仏らしい厳かさを備えてます。
後者は北斗七星を象っているらしく、密教的な神秘性が漲っています。頭には紫の彩色が残ります。

「金剛力士立像」(木造二体鎌倉時代 十三世紀前半薬師寺(成田市))は写実的な筋肉表現が見事で、こういうのは解剖学をやらなくても出来るものなのですかね?

第2会場の入り口にちょうど飾られていて、入ってくる人のところで目線が交差する決まり事も守られています。

その後ろにある「四天王立像」(木造四体鎌倉時代後期 十三世紀後半体十四世紀前半勝覚寺(山武市))はかつて東大寺の大仏の周囲にあった巨大四天王像と同じ造形であるとのこと。どのような姿だったかも分かっているのですから、もう、大仏の周囲に復元してしまえば良いと思うんですよね。

この像も2m超の巨大なもので、その迫力は圧巻の一語です。鎌倉時代を生き抜いた人のほとばしる生命力を感じます。

一方小ぶりの「四天王立像」(木造四体鎌倉時代 十三世紀弘法寺(市川市)前:持国天・増長天)は慶派の手になる細密な造形。持国天は物凄く前傾していて、迫力が強調されています。

「毘沙門天立像」(木造一体鎌倉時代後期 十四世紀密蔵院(旭市))は直前で止って奇跡的に津波の被害を免れたらしく、最近再び信仰を集めているとのこと。やはり先人の智慧なのでしょう。

「釈迦如来立像」(木造一体鎌倉時代 十三世紀後半体十四世紀正覚院(八千代市))は変わった姿で、あみあみの髪がさらに螺旋状に巻かれていて、ちょうど二重螺旋になっています。全体が細かな模様で埋め尽くされ、手相まで非常に凝った描写で彫られています。

「不動明王立像・毘沙門天立像」(賢光作木造二体鎌倉時代 十三世紀後半西福寺(印西市))は顔が俗っぽいのですが、遠くから観ると姿形がとても格好よい2像。

「不動明王立像・毘沙門天立像」(石造二体南北朝時代 十四世紀千手院(館山市))は光背が薬師寺の東塔水煙を思わせる造形。

「七仏薬師如来像」(木造七体平安時代末期体鎌倉時代十二体十三世紀松虫寺(印西市))は薬壷を三本の指で優しく支えている姿が高雅です。

なぜか突然現れた岩手県指定文化財の「七仏薬師如来像」(木造七体平安時代後期 十二世紀赤沢薬師堂(岩手県紫波町))はなんとなく宮沢賢治を思わせる岩手県民っぽい顔。朝鮮半島と日本でDNAはほとんど変わらないとも言われていますが、表情は遠目からでも違いが分かったりするもので、やっぱり使う言葉によって顔は違いますよね。

房総半島では妙見菩薩信仰が盛んだったらしく「妙見菩薩立像」(院命作木造一体鎌倉時代正安三年 (一三〇一) 読売新聞社)は大きなもので、正力松太郎所蔵で今はよみうりランドの妙見堂というところにあるのだということ。

「妙見菩薩立像」(木造一体桃山時代天正十八年(一五九一)か青蓮寺(君津市))は玄武に乗った姿。東方Projectの霊夢はこういったところを参考にしているのですかね。

「千手観音菩薩坐像」(銅造一体鎌倉時代後期十三世紀後半胤重寺(千葉市))は小ぶりながらも持ち物などが丁寧に作られた作品。

絵なども展示されていて「十六羅漢図のうち第一尊者・第二尊者・第三尊者・第四尊者」(絹本着色四幅室町時代文安二年(一四四五) 弘法寺(市川市)前:第一尊者第二尊者)には「文安二年は、雪舟もまだ若く、日本の一般的な水墨画の技法の水準は、中国画を十分に模倣する域には達していなかったと思われる」との解説ですけど、確か雪舟は中国に行っても意外と大した人がいなかった、と帰ってきていっていたと思います。どうなのでしょうか。

「十六羅漢図」(狩野一信筆紙本着色双幅江戸時代安政三年(一八五六)以前新勝寺(成田市))は五百羅漢図の狩野一信の作品で詰め込み感と躍動感が、同じく幕末である次のコーナーの伊八芸術と共通します。

「日蓮聖人像(水鏡の御影)」(絹本着色一幅鎌倉時代後期 十三世紀浄光院(市川市))は日蓮を水に映して描いたという作品で、てっきり自分で描いたのだと思っていて今調べた所、人に写させたとのこと。

「石堂寺多宝塔脇間彫刻」(武志伊八郎信由(初代伊八)作木造十六面江戸時代 文化年間初頭(一八〇五年頃)か石堂寺(南房総市))は波の伊八と呼ばれた房総の名彫刻師によって彫られたらしく、まさに波頭のようなうねりは見事です。奔馬天をゆく仕上がりで、亀すら躍動感に溢れています。

「倶利伽羅竜」(武志伊八郎信由(初代伊八)作木造一体江戸時代享和三年(一八〇三)頃大山寺(鴨川市))は龍が剣に絡み付いている作品で、その生々しい生命力・迫力・上昇感は凄まじいものです。歴代のドラゴンキラーのデザインはこれに敵いません。といいますか、元ネタなのですかね。

芸術的な造形に、信仰の芳香に、色々なものが味わえた非常に大規模な展覧会でした。感動が胸に満ちて、じんじんと、しんしんと、いつまでも溜まっていくような感覚がします。ありがとうございました。

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