続いて、行って参りました。
お客は9割ほど入っていて、伊福部楽曲は聴衆の中で生きている音楽です。
「プロメテの火」は1960年代以後は一度も再演されなかったものが、2009年に行方不明だったスコアが突然発見され、震災直前の2010年11月にピアノ版でいきなり蘇演。今回はオーケストラ版で堂々再演されたもの。
伊福部昭さんは原子力と極めて縁が深い作曲家で、戦時中は放射線で木材を強化する仕事に従事していたらしく(そんなことがあるんですかね?)被曝して体調を崩してしまい、しばらく道東で寝て療養していたとの事。そして上京してきて作ったのが「ゴジラ」の曲ですが、ゴジラは水爆実験によって生まれたという設定です。現代科学の負の側面に直面し、それによって怒り狂っているというのがゴジラという存在です。
そうであればこの「プロメテの火」の意味も明瞭です。朝日新聞の「プロメテウスの罠」でも使われているとおり、伊福部昭さんにとってプロメテの火は原子力に他ならなかったのではないか。2010年11月にこの曲を聴いた僕はそのことに気がつけなかった―――――――。
まぁ、気がついても仕方が無いのですが。
ベントができないとか、非常用電源が水没するとか、津波が来るのが解っていてわざわざ地盤を掘り下げて建設するとか、ここまでずさんであるというのは流石に知りませんでしたしね。
それはやっぱりメディアが報せてこなかったというのが大きいと思います。
精確にいうと核関連の意味も頭をかすめていたと思います。
事故直後も、科学の素養がある人は原発事故など起きるはずが無いということを知っているものだ、というような雰囲気があったと思うのですが、そういう常識の中で、原発事故というものを説得力のある形で文章に落とし込むことができなかった、という面があったと記憶します。
当時からテロについては危ないと思っていましたし、今になってみればそういった攻撃に対しても非常に脆弱であることが分かりましたよね。
会場の川崎シンフォニーホールは震災当日天井が崩落したことで注目を集めたコンサートホールで、震災繋がりの音楽会ともいえるでしょう。パンフレットなどではそのような繋がりには言及されていませんが。
伊福部音楽は舞踊音楽が多いですが、パンフレットによると、近代になって踊りと音楽に分離されてしまったものを、また統合したいという気持ちでそういった曲を書かれているとのこと。
身体性というのはどちらかというとモダンな言葉で、あんまり伊福部昭さんは直接そのようなことは仰っていなかったと思うのですけど、音楽と身体の関連性というものを近代で最も掘り下げた作曲家だったのではないかと思います。
私はこの前現代音楽否定派だと書きましたけど、擁護する人は何時の時代も前衛的なものは理解されないというのですよね。
とはいえモーツァルトも同時代に聴衆を集めていましたし、ベートーヴェンもそうでしょう。いわゆる無調のようなものを基調とした現代音楽は開発されてからすでに相当の時間が経過していますが聴衆を集められているとはいえません。シェーンベルクが無調をこころみてからすでに百年以上が経過しています。
結局現代音楽のなにが今まで前衛的と言われてきた音楽と違うか、というと身体性が無いんです。
身体性はあるけど、新しい刺激だったが故になかなか時代に受け容れられなかった、ということはあるのですけど、現代音楽にはそのようなものはまるでありません。
そういったものが無いが故に一般には受けない。なのでアカデミックな場で特別に研究するというのにはうってつけなのですが、それは「裸の王様」というのではないでしょうか。同様な不毛な系統の現代美術と共に、少なくとも国の予算で研究はして欲しくないというのが私の考えです。
時流に抗いながら、生涯このような疑問・問題意識を現代音楽に対して持ち続けたのが伊福部昭さんだったといえます。
伊福部音楽特有の充実した低音が鳴り始め、メロディが奏され始めますが、すべてが有効打といいますか、音に悪い意味での遊びが無いという印象。
骨董用語で納得することを「肚に入る」というそうですが、まさに肚に入る音色。内臓に染み渡るようなのが味わい深いです。
広上さんの指揮はCDなどで前もって明晰で情熱的な印象をもっていたのですが、動きが物凄く激しいのでびっくり。
強い刻みが入る所ではタプカーラの様に地面を踏み、ここぞというときには何度も唸り声を上げていました。
ただそれでも見やすい指揮ではあって、明晰な印象はここでも変わりません。
ただ、腰に力が入ってしまって反ってしまう癖があって、これがややもすれば音楽の造りを小粒にしていると思います。または、肩甲骨のはがれ方が良くないので腕を上げると腰を反らざるを得ないのかも知れません。
全休止では、すごい、と観客からため息が漏れるほど。
伊福部音楽には基本の作りがありますが、曲毎に傾向は違って、この曲では歴史を超越したかのような壮大さを持って響くのが特徴。人の感情すら入り込む隙が無いほどの峻厳さに満ちており、豊かなニュアンスを伴って劇的な音楽が展開されます。
ユニゾンが多いと終演後にご婦人が呟かれていましたが、その特徴もあってピアノでの演奏もなかなかなのですが、その時よりも流石に色彩があるのも素晴らしいです。染付から金襴手に変化した印象。
「舞踊音楽「日本の太鼓」鹿踊り」は大らかな勇壮さを感じさせる作品。鹿踊りは東北に広くある民俗芸能ですが、この曲は岩手県江刺郡のとある集落の鹿踊りを特に参考にして作られたとの事。
しかしただ民俗音楽を持ってきたというものではなく、それをもとに膨らませたもので、それは他の伊福部作品と同様です。
舞踊の映像と共に演奏される趣向で、これまた鹿踊りをもとにした現代舞踊です。
ロビーでは岡本太郎によって撮影された岩手の鹿踊りの写真が展示されており、強く屈んだ瞬間を捉えた、ダイナミックさを感じさせるシーン。
背中から伸びる2本の幟が、意外と芸術的な感興を呼び起こすもので、面白いですよね。
岡本太郎は川崎出身らしく「青」という作品がロビーには展示されています。
この二人は同じように民俗に興味があるんですけど、岡本太郎がひたすら写真を撮っていったのに対して、バルトークやヤナーチェクの様にひたすら旋律を採集していたのが伊福部昭さんで、ここらへんは造形作家と音楽家の興味の違いが良く表れています。
作風的にも太陽の岡本太郎とタプカーラ(地霊に働きかける反閉と同系)の伊福部昭といったところも対照的です。近いようで対照的であって、恐らく繋がりが無かったのがこの二人だと思います。
また日本はこのように民族的遺存が非常に豊かなのも特徴です。同時に民俗音楽も豊かなので伊福部昭さんのような色んなものに取材した作曲家が現れます。
この前段文凝さんが、日本は狭いけど、少し行くと全然違う町がある、中国はみんな同じ、ということを言っていましたけど、民俗的な遺存が各地で熟成されて個性となっている一方、逆に中国は戦乱なり社会的な混乱で均されてしまって、それほどヴァリエーションが無いんだと思うんですよね。
白川静さんが何故広く受け入れられているか、というとその存在が自然である、というのがあると思います。甲骨文字の発見は非常に大きな資料的な進展で、これと日本の民俗的な遺存・民俗学の発達が合わされば、何か革新的なことが起きるのではないか、という理屈として自然な期待があるんだと思うんです。
その点中国は民俗的な遺存が少なく、民俗学の発達も日本の水準には及ばず、甲骨文字を腰をすえて研究できるような研究体制もなかなか実現しなかった。加えて日本は古典の民俗学的な見地からの研究の蓄積もありますが、日本で起こるべきことが起きた、というのが私の場合非常に腑に落ちるところがあります。
前にNHKで中国の学生に白川静さんの文字説をみせたらみんな納得しなかった、という映像が流れて、白川静さんの否定派はこのエピソードを引くことがありますが、上のような理由から私は、そうだろう、やっぱり理解し難いんだろうね、と思ったものです。
書物などにしても、中国でなくなってしまったものが日本で残っている、という例は色々な分野であります。その民俗分野の遺存で、漢字を手がかりに東洋の民俗を繋いだのが白川静さんで、汎アジア的な音楽として展開したのが、伊福部昭さんだと思います。
前にも少し書きましたけど、東方Projectのアジアでの受け入れられ方は、この民俗的な遺存のギャップが、かなり大きな影響を及ぼしているのではないかと考えています。懐かしがられているような所があると思うのです。
コンサートに戻って、曲は安定の伊福部節ですが小太鼓がとても活躍するのが特徴的で、元祖の「鹿踊り」は太鼓を持って踊るものです。
また解説の冊子にある、スクリーンの竹の音というのがそれなのか、床を叩いたようなばしっという音が多用され、さびになっており、この作品ならではの個性を与えています。
金管や木管の独奏が織り込まれているのも特徴で、触るように叩かれるティンパニと共に遥けき印象。鹿の遠音の様な抒情が薫ります。
深みを湛えつつ、寛いだ楽しさがある曲だったと思います。
終演後は伊福部音楽でお馴染みのブラボーが木霊しましたが、アンコールは無し。
周囲のご婦人は、ゴジラをやったらいいのに、と仰っていましたけど、そういうのがあったらよかったですよねぇ。
「現代日本の音楽」の手塚幸紀と東京交響楽団のコンビの録音など、未だに伊福部作品の代表的な録音ですが、東京交響楽団は伊福部昭の数々の作品を初演してきたという歴史があるらしく、指揮者共々非常に熱のこもった共感を感じる演奏でした。
「釈迦」などが取り上げられるという、来年の生誕百年記念コンサートも楽しみです!ありがとうございました。
コメント