クラシック倶楽部 南紫音 バイオリン・リサイタル

曲目は

無伴奏バイオリン・ソナタ集    イザイ作曲

「第1番 ト短調 作品27第1」

「第2番 イ短調 作品27第2」

「第4番 ホ短調 作品27第4」

「第6番 ホ長調 作品27第6」

(hpより)

録ったまま放置していたんですけど、冒頭のインタヴューを見始めると面白く、さらっとすべて聴いてしまいました。

結論から言えば、とても良いヴァイオリニストだと思います。

一番感じた特徴としては、良質の厳しさがあります。演奏の彫も深く、非常に積極的。音楽が素晴らしく生動しています。

庄司紗矢香さんと同じくロン=ティボー国際コンクールで入賞されていますが、結構似たようなものを感じました。

ただ、庄司さんのように本当に音符を弾いているのかと思わせるようなまでの有機性はなく、最弱音にももう少し幽玄の世界に引き込むような凄味があると良いと思います。

同じような音型が連続するところでは、平坦になるところも。

ティボーに捧げられてた2番ですとか、もう少し、軽やかさの中に情緒があっても良いのかも。曲中もっと豊かに歌うと映えそうなところもあったと思うのですが、そういう所も微妙に不満。今回は厳しさ以外の表情があまり出ていなかったかなと思います。

私が感じた良くなるところの提案から入ってしまいましたが、基本的に素晴らしかったです。凄く音楽を知っているな、というと恐縮ですけど、文化としての音楽を凄く良く身に付けられているなという印象。

以前に五嶋龍さんのドキュメンタリーを観たことがあって、外国人の教師の人の前で弾いてみせた後、こう弾くんだ、とその教師の人に直されていたことがありました。

日本画の世界ではこの線は生きているとか、気が通っているとか、芯がしっかりしていている、という評価軸があります。絵を描く以前に、それが駄目だと先生にダメ出しを食らって、できるようになるまで修行することになるわけです。
こうったことは日本の文化全般にあって、例えば、武術の突きや斬撃に関しても、同じような形容詞で評価をしたりダメ出しをしたりします。

そういった評価軸で観ていくと、その五嶋龍さんの演奏は、生きていなかったし、気が通っていなかったんですが、教師の人が手本として演奏した弓遣い・音は、素晴らしく生きていて、気が通っていたんですよね。

そういう言葉にはできない西洋音楽の文化的な本質があって、それが日本に伝わっていないのだろう、と感じました。

最近では生きた・気が通った・芯がある線を描く日本画家はめっきり観なくなりましたが、実際は日本にもそういう文化があったわけです。ほかにもいろいろな評価軸が日本文化にはあって、そういう面からすると本来は西洋音楽より進んでいるくらいなのです。クラシックをしている人で、意外と武術を参考にしようとする人が多いのは、こういった理由があるのだといえます。

この演奏会の放送に戻ると、私から観て、南さんの音・音楽はしっかりと生きていましたし、気が通っていました。庄司さんを筆頭に、以前に比べて、こういった部分が優れている(日本の)ヴァイオリニストがすごく増えたと思います。

音符を弾いていますよ、というのではなく、音楽をやっているという部分がすごくしっかりしていると思います。

ご本人の演奏も素晴らしかったですし、日本のヴァイオリン界は非常に良い方向に進んでいるのではないかということもしっかりと感じ取ることができました。

南さんに戻ると、この演奏はそういった部分が、優れていました。

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