行って参りました。
戦争の痛みと戦前からの慣性と、過去と未来と、いろいろなものを感じさせる展示物でしたね。
戦災で日本側は辞書まで失っていた。というのは一体どこまで破壊されたのか、という感じ。少しでも文化財が残っているのが不思議なくらいですね。
早期に降伏しなかった人間たちのとてつもない罪の深さがここからも想像できます。
言葉を選ぶ感じは法律関係ならでは。細かく変わりますね。また解釈するかしないかで葛藤が生まれます。
音楽評論とかにも共通する難しさ、というか、憲法制定とは理想という不定形のものを文章に落とし込む作業なんだな、ということも感じましたね。
条文を読むとともにそのこころも感じ取りたいものです。
戦前の日本はやはり北朝鮮に似ている。
北朝鮮の高官も既得権護持のために今のままが良いと思っているそうですけど、戦前の日本に近いと思いますね。
史料から出てくる、国体、国体、という言葉にも、宗教的な要素に惑わされず、戦前の既得権の大きさというものを感じるべきなのでしょう。
そしてそれは現代も変わらないことなのだといえます。
また、北朝鮮も転換期を迎えなければならない時にあります。
そういう意味でも今にもそのまま生きる史料なのかなと思います。
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