(http://www.sankei.com/politics/news/160526/plt1605260031-n1.html)のように「リーマン級」も恥ずかしいですけどその前に、伊勢神宮に招くのも疑問だ。
明治以降の伊勢神宮は国家神道色が極めて強く、現在も方向転換がなされていません。むしろ強まっているようにすら感じます。
西洋でいえば教会に招くようなものですし、もっとカルト的な宗教の本拠ということもできる。
日本の国家主義の賛美のために各国首脳を駆り出しているようにしか見えない。表だって批判できない各国の首脳らには日本への不信とフラストレーションがたまるだろう。日本を貶める行為だ。
伊勢神宮は杜を核心とした江戸期以前の形に戻るべきだ。戦前の歴史を精算しそのことに徹しきった果てに初めて各国首脳を招くことができるような下地が整うということがいえます。
こうやって観て行くとサミット前半の過失と後半の過失は全く同質のものであるといえる。どちらも内向きで自分のことしか考えないが故に日本の評判を海外へ向かって著しく落すものだ。
一人の人間がやることはどこへ行っても属性が同じということでしょう。
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