江戸東京博物館 特別展「チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展」

#その他芸術、アート

何か良さそうな物が来ているような雰囲気があったので、行って参りました。

「青銅製人物像柄曲刃短剣」は柄が人の形なんですけど、丁度急所が出っ張っていて滑り止めになっているんですよね(合理的)

文字を最初に使ったのは突厥だそうで、ここらへんで強大な王権が確立したということでしょう。

遊牧民の残したものといえば、馬具とか王冠といったものですが、目だったのはテクノロジーですね。

元代の「至正辛卯銘銅銃(複製)」は大砲っぽい銃で、これが西方に伝播して行ったそうです。
他には「投石器」で、これは確か川を越えて南宋を攻撃するのに役立った、というものだったと思います。
「宮帳戦車」というゲルを鉄板で覆った戦車で、陸の鉄甲船といった趣があります。
発想の豊かさが窺えます。

他には「イスラーム教徒の石棺」があって、田中久重の墓のような白石が蒔かれていて、真っ白な棺に落雁の飾りのようなものがたわわに付いていて、綺麗でした。
「十字形銅杖飾り」は魔法少女が持っていそうな、先っちょが十字の杖。ネストリウス派を保護していた関係で、あるのだそうです。
「銅鍍金菩薩像」はチベット仏教っぽい、掌中の玉を慈しむ仏像。
こうやって見て行くと、元朝は寛容な帝国であったと。だからこその巨大版図でもあったとの印象を強く持ちました。

白川静さんは「肉体刑は後世になるほど残虐性を加えているようである」(漢字の世界Ⅱ 新書版84ページ)と書かれています。えっ、古代の方が生贄とか、残虐なんじゃないの、とも思えますが、そういったことは必ずしも、心の残虐性から生まれたものではなかった、と思われて居たんではないかと思うんです。

西岡常一棟梁は「時代と共に技術も心も退化したんです」(木に学べ 小学館文庫版251ページ)と明言されています。
白川静さんも「憶良の歌が「飛鳥・藤原あたりの歌調」に及ばないのは、そこに「万葉」の初期と後期との境界があるから」(後期万葉論 文庫版165ページ)と仰られていますし、明言はされていないと思うんですが、棟梁に近い事を感じていらっしゃったんではないかと思うんです。
法などに縛られているだけで、心の部分では退化している、と思われていたのではないかと思うんです。

元朝はそういう、古代人特有のあっけらかんとした侵略性と、心根の優しさを持っていた帝国だったのではないかという気がします。

欲しかったのは「岩羊(パーラル羊)角長柄勺」で、角っぽく撓った厚手の柄杓が有機的で、これでお酒を飲みたいと思いました(下戸ですが)
「面、法冠、法服」は男のシャーマンの服なんですが、貝がたくさん付いていました。

ここから続く「モンゴル女性の服装」シリーズがなかなか素晴らしくて、良かったです。

「龍紋彫刻馬頭琴(モリン・ホール)」は素朴な馬頭琴。最近展覧会に行くと、モリン・ホールを弾いている路上パフォーマーの方に良く会うので、「胴体にヴァイオリンのような穴が開いていますけど、これは伝統的なものなのですか?」と聞いたら「ソ連の影響です」と教えてもらいました。しかし、この馬頭琴は穴が開いていないですね。
モリン・ホールは大地のヴァイオリン、といった感じの良い音がするので、出会われた方がいらっしゃったら、どうぞどうぞ。

「モンゴル琴(ヤトガ)」は12絃。
「蒙医針灸銅像」はなぜか螺髮のような髪形をした、ツボの場所を示す人形。ツボの位地はモンゴル独特なのだそうです。ツボの位地について「科学的価値が高い」と解説が書かれていて、ああ、ここまでの解説は中国の方が書いた(ものを訳した)ものなんだな、と気が付きました(多分)。中国の人は中医学を確乎とした医療だ、といった感じで言うことが多いんですよね。日本の人は、効けば良いのじゃないの、といった感じが多いと思うのですが(笑)

全体的に清代で隨分変わったな、という印象を持ちました。
草原の展覧会という難しいものでしたが、一級文物と丁寧な復元で、文化が良く分かる感じで面白かったです。売店の中国の方も積極的で、賑やかでした(笑)

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