太田美術館 名優たちの系譜 -幕末・明治の歌舞伎と現在-

#その他芸術、アート

最終日に行って参りました。
この日は代々木で福山のライヴがあったらしく、歩道橋の上は女性で一杯。流石に福山はやりますねぇ~。
昼食は明治神宮で食べるのですが、太田記念美術館に来るのは、半ば明治神宮に来る楽しみでもあります(笑)九月の終わりでしたが蝉が沢山鳴いていました。蝉の寿命は昔言われていたより、実際は長いそうですねぇ。

最初の方は三代豊国の作品がずらっと。作品が多く、作画歴の長い人で、故人の役者と現代の役者を並べて描く様な技も持っていたそうです。

坂東亀蔵という役者の役者絵と写真があって、なかなか謹直で格好良いです。十三代市村羽左衛門という人に舞台中に小言をいっていたりしていたらしく、厳しいのか大らかなのか良く分かりません(笑)

「御誂見立狂言」という絵は横に本当の舞台の写真が置いてあったのですが、三代豊国が嫌味にならない線で見栄えるように、ファンタジックに描いているのが良く分かります。

一番良いと思ったのは「三代目沢村田之助の?於加留」で、細面がなかなか綺麗。この人の絵は、落語で出てくる典型的な江戸っ子の匂いがします(^_^;)

解説によると江戸が終わる直前に名優がパタパタと死んだそうです。浮世絵師でも維新を迎えると結局、暁斎くらいしか有名所が残っていなかったり、そういうことはありますよね。

歌川国周の「二代目沢村訥升のより兼 三代目沢村田之助の高尾」は吊るし斬られる(らしい)高尾が異常に格好良く、躍動していました。

歌川芳幾の「真写月花之絵姿 六代目市川団蔵」シルエットだけを切り出した絵で、流石に目を引くだけの試みかなと思ったんですが、意外と面白いかもしれません(笑)
影から、近代的な個のありようと言うと言い過ぎですし、哀感というのも言い過ぎですが、そういう物がにじみ出ていました。
当時イギリスでシルエットの絵が流行っていたようですので、関連もありますかね?

「真写月下の絵姿 初代市川新車」は浮世絵の様式の絵ですが、意外なほどに写真と似ています。この写真の市川門之助がこれまた格好よくて、女形の真っ直ぐを向きながら横目を遣う姿が美しかったです。体幹を動かさずに首だけをちょこんと動かしている姿が、歌舞伎っぽいです(笑)

豊原(歌川)国周の「西南(長いので以下略」は西南戦争を歌舞伎化したものを描いたものらしく、臨機の大衆芸能の姿が観えます。現代だったらイラク戦争辺りを歌舞伎化したら良いのかなぁ、などと一瞬思ったのですが、魅力的な人物が誰一人として登場しないことに気が付いて、すぐに没になりました(笑)

「五代目尾上菊五郎の小間物屋才次郎」は蝮の腹の中から血まみれで脱出するシーン。この菊五郎はさっきの羽左衛門で、この人が九代目団十郎の向こう側の、伝統的な立場を成す形で、共に歌舞伎を支えたそうです。

歌川豊齋の「名優九代目市川団十郎」はいわゆる死絵。写真より当代に似ているのですが、DNA云々より、顔の造作の仕方が受け継がれているのかもしれません。
この九代目市川団十郎は歌舞伎を近代化した人らしく、考証を厳密にしたりして、明治二十年頃に活歴というものを生み出したのだそうです。結局この頃から伝統芸能になったと思うのですが、音楽で言えばバッハの功罪なんて言うことが言われますし、絵では探幽辺りに形骸化の端緒を求めることがあるそうです(見当が付きませんが)
近代化の功罪はどんな分野でも色々言われますが、遂行した本人の伎倆は飛び抜けている、ということが多かったりしますので、この九代目もきっと見事な俳優だったに違いありません(笑)

当時の俳優の一番の特徴は、やたら自信に溢れて見える様な所だと思います(笑)浮世絵の歌舞伎と密接した部分の雰囲気が見えてくる展覧会でした。

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