太田記念美術館 「春信・清長・歌麿とその時代」

#その他芸術、アート

昨日は朝日新聞阪神支局襲撃事件から丁度25年でしたけど、この事件はやはり大きな意味があるとおもいます。

フランス革命の時に自由と平等がうたわれたわけですけど、革命が成功が確定すると、女性の政治活動を禁じる法令が出されたのだそうです。また、財産による参政権の制限も復活したらしく、理想とはかけ離れた結果になってしまったみたいです。
これは世の中そう簡単には進歩せずに、常に引き戻す力が働くことを示していると思います。

戦後は戦中に較べれば、制度的に格段に自由になったわけですが、その法的にフラットな状態を他で補おうという動きがあったのではないかと思うんです。それが特に60年代以降活発になった右翼の活動だったのではないかと思うのです。それを政府が意図的に放置することで、治安維持法に代わる役割を担わせてきたのではないかと思うのです。

左翼だとびらを投函するだけで捕まったりするわけですが、それと較べると右翼に対しては明らかに寛容だと思います。暴力団もまた然りで、拠点は正面から潰してしまえばいいし、情報網をフルに稼動させて虱潰しにしていけばかなり違うと思うのです。

そういう方向とは逆に、戦後の政治のシステムの中に両者を取り込みつつ、やってきたのではないでしょうか。

それが決定的に働いたのがこの右翼の襲撃事件で、その結果、最近の朝日をはじめとした新聞・テレビは無残としかいいようがありません。

4月25日のテレ朝の午後5時5分頃のニュースではコメンテーターの大谷昭宏さんが、原発を選んで繁栄するか、安全を選ぶか、と対置させており、情報が古いのか、意図的にやっているのなら極めて悪質で、精神が腐っていると思います。

再生可能エネルギーに早めに参入するほど経済的にも潤うのではないか、といっている人は多く、横の渡辺アナウンサーもきっと知っているでしょうから、そのことを突っ込んでみるべきだったと思います。

敦賀原発が稼動して万博の電気を賄っていた、ということで、その瞬間コメンテーターの人の職場が湧いたそうなのですが、恐らく読売ですね。

読売も変な社説を量産しているみたいですけど、過去の間違いは仕方が無いですから、間違いを認めて、立場を参考にせずに、正気に戻ってリアリズムに徹してほしいと思います。

4月25日は原発の下に活断層があるということで、それを伝えるニュースが相次ぎましたが、広島大学や東洋大学の学者さんの話によると他にも色々な所に断層が通っているのですが、警告が無視されたり、活断層の位地を勝手に変えられたり、良いように勝手に解釈されてきたとの事。

そのようなことをやった人の個人名は絶対報道で知らしめて問うべきですし、今までの原発の活断層について責任を持っている人は、出てきて説明してもらいたいと思います。

報ステのキャスターの人は科学が発達したのだから直す所は直せば良い、という事をいっていましたけど、思いつく限りの穏当な表現で、どう考えても、まぁ、犯罪に近い改竄なのですから、正面から告発するつもりで向き合ってほしいと思います。

4月27日のTBSの午後6時ごろのニュースでは、財務大臣の値上げも無し原発再稼動もなしというのはありえない、という言葉をそのまま流していましたけど、寝言は発送電分離してからいってもらいたいと思います。とはいえ再稼動が金銭的なものであることがむき出しにはなっている会見ですよね。
いい加減、解体・売却した上で、国有化するのが当たり前だと思います。

この堀尾さんの番組については何度か取り上げてきましたけど、堀尾さんは例えば井上ひさしさんと日本語について対談していましたけど、保守的なんですよね。根本的に保守的だから、一見ふざけているような事が許される人で、特に流れてきたニュースをそのまま捌いて何の疑問ももたないで居ることが出来る人なのではないかと思います。

五月二日のTBSの午後五時四十分頃のニュースでは「風評被害に負けない」ということで、福島の旅館を取り上げていましたが、やはり東電のとの字も出てこず、極めて偏った報道だったと思います。

震災直後に被災者受け入れに際して、被災者一人につき5000円が支給されたといいますが、極めて吝い金額で、こういった旅館の救済が遅れていることも含めて、原子力ムラの年頭にはお金しかないのではないかと思います。
そしてその戦略の馬。先導役を果すのが新聞・テレビであるということだと思います。

例えば四号炉の状態一つとっても福島の周辺に行くことにリスクを感じるという感覚は当然であって、風評被害というような消費者に責任を転嫁するかの様な言葉は使うべきではないとおもます。

ただ、堀尾さんとかは、風評に惑わされずにどんどん行きましょう、というようなことは言っていなかったので、そこら辺は考えているということで良いんですかね?

5月3日のTBSの午後6時50分頃のフラッシュニュースでは、電力会社の総計2.7兆円の赤字を報道していましたが、火力発電を使っているためと説明されておりました。電力会社自体が原発再稼動は電力とは関係ないといっており、経営の為ということで、既にそういう視点から報道している番組もあります。そういうのを踏まえて言えば、論点がずれており、非常に誤解を招く報道だと思います。

堀尾さんは長峰さんがいなくなってすっかりギャグの冴えもひそめましたし、そろそろ報道人としての足元を見詰めなおしてみたらいかがでしょうか。

サルコジがフランスの原発は世界一安全だといっていましたが、日本ではなかったんですかね(^_^;)あほな人の言葉はどこの国でも変り映えがしないものです。

TBSは夜のニュースで立花隆を出しており、NHKも最近たまに出します。以前の嘘ばかり書いていて指摘されていた問題には、申し開きも謝罪もしていないはずで、そういった人間をほとぼりを冷めたのを待つかのように再び起用するのは、嘘を許容する、社会的に良くないことだと思います。

NHKの5月2日の午後7時15分頃のニュースでは、需給見通しが公開されました。と関西電力管内の電気が足りないという見通しを主語無しであたかも確定事項のように扱っています。原発を囲んでは利権が渦巻いており、それをほぐした上で情報を分析し、発表した機関の名前をつけて報道するべきではないでしょうか。

5月3日のテレ朝の昼の12時半ごろのニュースをはじめ、地元の声ということで原発再稼動を支持する声を映し出して、番組の「バランス」を取るというのが最近の流行のように思えますが、福島を対岸の火事だと思っている、という言葉がぴったりで、現実を踏まえた意見であるかのような扱いは偏っていると思います。
さらに、こういうニュースを伝える時には、交付金が局所的に流れ込む今までの仕組みにも、疑問を呈するべきなのではないでしょうか。そこに踏み込めなかったのが事故に至る報道の過失の一つであり、そこを直さない限り福島の経験を生かしたとはいえないと思います。

大下さんが、フランスの方は美意識高そうですからねぇ~、といっていましたけど、あえて言えばそれは錯覚です(^_^;)

同日の報ステでは再稼動に疑問を持つ地元の農家の声を放送していましたけど、やはり地面と向き合って生活している人の感覚としてはそうだろうと思います。

行って参りました。

年度の二回目ということで、挨拶代わりか、とりあえず名作家の作品を並べた展覧会。

肉筆画では窪俊満の「浴後美人之図」が浴後のぽちゃっとした感じが出ていて、日本の女性美の極み。

春信の一連のシリーズは素晴らしく「鶴乗美人」は有名な初期の作品で、彫師摺師の名前が入っているところに黎明期の緊張感を感じさせます。
「春の色」は女性同士仲良く百合の極み。「洗張」は洗濯シーンで、清冽の極み。「つれびき」は極めて親愛で「鶴と男女」は朝が来ないように鶏を鳴かないようにするという、滑稽で切実なシーン。「林間暖煖酒焼紅葉」は中国の古典を再現した風雅なシーン。

この次は司馬江漢などの影響を受けた作品を並べていましたが、やっぱりちょっと違うかな。とは思いました。

鳥居清長の「曽我両社御祭礼」など、お祭りや名所なども相変わらず多く、江戸の特徴が出ています。

「ラテンアメリカ文明の興亡」(高橋 均 (著), 網野 徹哉 (著)177ページ)によると、植民地になってインディオは山・川・泉・岡・洞窟といった聖なる場所がある地元から、ヨーロッパ的な人工都市に強制移住させられたらしく「都市生活=「文化」というイデオロギーに支えられたこの施策は、アンデスの伝統を根底から否定する思考に貫かれていた。」そうです。

翻って言えば江戸には都市の中に田舎にもあるような聖所が散在していました。江戸時代は地域が独自性を咲かせた時代で、地方分権の時代といわれ、そういったことから昨今の社会の流れに江戸帰りを指摘する論者も以前からたくさんいましたが、お互いの価値観を共有・尊重していたということで、地方と中央の仲が良かった時代とも言えるのではないかと思います。

そういった所がここに出てくる南米の都市と違う所だと思います。しかし日本も明治以来の中央集権の過程で都市の性格は江戸のそれと較べて、むしろ地方を否定するかつての南米のそれに近くなっていってしまっているのではないかと思います。

都市の中にもっと自然を尊重する価値観を織り込むことで、かつての都市と地方との関係を取り戻せるのではないかと思っています。
再生可能エネルギーはそういった中で、一つのきっかけとなりえるのかもしれません。

再生可能エネルギーのニュースでは、4月26日の朝日の一面の目次には「自然エネ 負担は利用者に」とあって、朝日新聞の本音がむき出しになっています。
今まで原発も電源開発促進税などのぼかした名目の徴集や、交付金といった形などなどで利用者に大きな負担がかかっており、再生可能エネルギーの時にだけなぜこのような表現を採用するのか、理解できません(という事はありませんね・・・・)。

4月25日のNHKでは午後の9時半ごろに固定価格買取制度のニュースが。
終わりに、ドイツでの再生可能エネルギーの事業は行き詰っている。これが現実だということも。云々と、コメンテーターの大越さんが言っていましたが、私の知っている情報とは真逆で、どれだけ裏を取ったのでしょうか。

読み上げたのか本人がいったのかはわかりませんが、理由もいわずに言い切るのは、NHKの影響力を考えた時に非常に大きなマイナスを社会にもたらすと思います。

原子力ムラとして筆頭に上げられる番組で、公平を装った原発推進は非常にたちが悪いと思います。NHKは歴史の中で一番役割を果さなければいけないときに、最悪の選択をしている可能性があると思います。

それにしても、この美術館に来ると、やはりさわやかな気分になります。良い作品をありがとうございました。

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