は池上英洋教授とヤマザキマリ氏の二人によるミラノ紀行。前回はフィレンツェだったので今回はミラノとロンドンという趣向ですね。
まずはスフォルツァ城に行った二人。ミラノからは他の都市にはない圧迫感を感じるとヤマザキマリ氏。
レオナルドが仕えた時の領主のルドヴィーコ・マリーア・スフォルツァは傭兵隊長上がりで日本で言う斎藤道三のような人だったらしい。ミラノは軍事都市なんですね。
なんか茶色くて威圧的ですよね。
サッカーではACミランのゾーンプレスが有名でしたけど、やはり街の雰囲気がそのままサッカーの戦術に表れていたのだろうか。
様々な能力を売り込んだダ・ヴィンチですが、当時は万能でないと生きていけなかったらしい。何でも屋でなければならなかったんですね。
現代は各分野の専業の細分化が進んでいますけどもしかしたら必ずしもスペシャライズが進んでいるということではなくて流通などが進歩して人口も増えてそれだけで食べていけることに安穏としているだけなのかもしれない。
番組は二枚の「岩窟の聖母」の謎に迫ります。
この絵は「聖母無原罪の御宿り信心会」という当時の新興宗教のようなところから頼まれたらしい。だから何かへんてこな画題の雰囲気があるんですね。この信仰は今はあまり話を聞かないですけど歴史に対する影響が凄く強いですよね。調べると今はカトリックがこの教義を正式なものとして採択したのでそれに内包された形のようだ。
ロンドン版は生で観たんですけどなんでこんなにてかっているんだろうとは思ったんですよ。弟子の画風だったんですね。
ルーブル版はいかにもレオナルドっぽいですよね。
ルーブル版が先行して作られたものでロンドン版は後に作られたものとのことでその違いを解説。
ルーブル版であらゆる注文主の要望を無視して描いたのでロンドン版では修正してくれという圧力があったのではないかとのこと。
いわゆる光の輪の「ニンブス」は入れてくれと言われたのか勝手に描かれたのだろうということ。
ニンブスをレオナルドが率先して入れたという可能性は無いんですかね?
ロンドン版で進化したといわれているところも多いらしい。こうやって説明されるとなるほど構図の意図が明瞭にわかってきますね。
ロンドン版は従来弟子が多くを描いたといわれていましたがロンドン・ナショナルギャラリーが全てレオナルド作とする新説を10年前に発表したとのこと。
池上氏が学芸員に根拠を尋ねると「類稀な技術で描かれているから」とのこと。これではしかし・・・・。
未完成にみえる部分はわざとぼやかしているのではないかとのこと。これは300年以上先んじた表現だと池上氏。
番組後半は「最後の晩餐」を徹底分析。
現在絵の具は当初の20%しか残っていないらしい。
これは本当にこれをいきなり出されて名画だといわれても「?」と思わざるを得ないくらい損傷していますよね。
池上氏は過去の作品と比較してレオナルドの革新性を確認。
明らかに劇的でドラマチックでそういう意味では分かりやすいですよね。
「聖ヒリポ」の下書きは素晴らしいですね。
ユダが黒いのは今だったら人種差別で引っかかるかもしれない?!
次に番組はロンドンに「最後の晩餐」のレオナルドの弟子の模写を訪ね、世界初の赤外線写真による調査を敢行。
これによってレオナルドが描いた下書きを模写した際にできる針の穴があるかどうか確認できるとのこと。
ところどころあるらしい。しかしない所にはないとのこと。少なくとも部分的には使用している感じらしい。
この模写は本物と明らかに違うところもあります。
正確ではないという話でしたけど、下書きと本物で違っているところを直し忘れたとかあるでしょうか?下書きのアイディアであったとか。
しかし、服の色とかも違いますしね。なんで下書きを使用してまで正確を期しているはずなのにこんなに違うのであろうか。
この模写は本物に比べて絵の具が完璧に乗っているはずなのにどうも感動訴求力が弱い。
「イエスが完全に諦めてる」という話が出ていましたけど、イエスの中間的な表情が模写では出ていない。
表現もぼやけているし表情も中間的。すべてがぼやけているがゆえに本質を感じさせるのがレオナルドの絵画なのでしょう。
計算し尽くし、細かいところはもの凄く細かくしてここぞというところはぼかしている感じだ。
それは模写できないものなのでしょう。
あとよくみると背景が全然違いますよね。調べると上部については途中ではぎ取られたらしい。それ以外にもドアの位置とか違いますよね。
上部の広い空間と遠近法。これこそが最後の晩餐の構図の肝なのだと本物を観ると感じます。
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