鉞子(えつこ) 世界を魅了した「武士の娘」の生涯(内田 義雄 (著)) その3

「武士の娘」の「子供の頃から、女が男に劣っているということは強く教え込まれていました。」(166ページ)というのは「女大学」の記述などによるものでしょう。

「江戸の紀行文―泰平の世の旅人たち」((中公新書) 板坂 耀子 (著))の84ページ以下によるとそのもとになった貝原益軒の文章の意味は、そう思っておけば女性が家で何をやってもトラブルにならない、という意味なのだそうです。つまり期待値を下げることで、男性側に妥協を促したものなのだそうです。

また、だからこそ弱い女性を守らなければならない、ということだったとのこと。

最新の研究ではどうも「女大学」は当時の実際の女性のあり方とはかけ離れていたみたいです。

いわばこれは江戸期の建前であったということでしょう。「封建時代と言われた江戸時代に、むしろ女性がしたたかに、のびやかに生活したのに反して、明治時代こそ、法でもって建前を現実に強制し、女性を窒息状態に押し込めたといえるのである」(三くだり半と縁切寺 江戸の離婚を読みなおす (講談社現代新書) 高木 侃 (著)248ページ)とのことで、「女大学」を本音的に受け取っている鉞子はあくまで戦前の、明治の人間であったと受け止めるべきでしょう。「女大学」は戦前を通して教本として使われたのだそうです。

女大学は明治以降に江戸時代の精神を代表するものとして集中的に攻撃されていますが、成立に関してはいろいろ言われていて、そういう意味では最近は存在しないということで教科書から消えつつある「慶安のお触書」に近いものを近代の近世史の中で背負わされているのかなと思います。

そのもとになったものの精神は、必ずしも男性の勝手な目線ではなくて、女性の一途さを当時の言葉で表現したらああなった、という部分がかなりあると思うんですよね。

東京国立博物館 平常展 特集陳列 女性画家前期 その3
行って参りました。ラグーザ玉は明治の洋画家で、夫に付いて行った先のイタリアで評価されていたもよう。有名な代表作の「エロスとサイケ」は見事な技術と、普通の洋画にはあまり無い類の浮世絵的な動的な工夫が随所に散らばっていて、素晴らしい仕上が...

で書いたように、当時の女性が率先して絵に描き表しているところからも、女性として深く共感できるものがあったのではないかと思います。

その一途さの部分を受け継いで、また今なら違う形で表現すればよい、ということなんだと思います。

「武士の娘」には金銭を自由にできず意外に地位が低いアメリカの上流階級の女性についても書かれていますが、これを読みますと、女性の地位を計る国際的な調査で、女性が実質的に自由にできるお金について調べられていないのは不当ですよね。

かといって改善点がたくさんあることには変わりませんが。

また177ページには仏教や儒教が女性差別に利用されている状況が読めます。今まで書いたように、実際にそれがどれほど社会的にマイナスをもたらしていたかは別として、そういうものが仏教・儒教・神道に癒着するような形で存在したという事実は確かなんだと思うんです。

それに関連して次の文章を書きましたので、併せて読んでください。

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